| 尤 05 |
SGコース･･･月詠学園退魔班はその活動ゆえに怪我を負うことも多く、その度にここ利用される。
月詠の息がかかったこの病院は、退魔で負ったその不自然な怪我の理由を追及しない。
当の八雲自身も先の戦いで生死の境を彷徨い、世話になったばかりだった。
面会時間ギリギリの病院はしんと静まり返っていた。
ロビーの電気は消され、受付にも人気はない。
辛うじて入り口のところにガードマンが１人いただけだった。
照明も大分落とされ、薄暗い蛍光灯の光がリノリウムの床に鈍く反射する。
八雲と剣持は入り口で教えてもらった病室へと向かっていた。
歩きながらも不安ばかりが募る。
(皆も･･･こんな気分だったのかな。俺が･･･死にかけた時。)
それでも今回は命に別状がないというだけまだマシだ。
八雲の場合はいつ死んでもおかしくなかったのだから、もっとタチが悪かっただろう。
暫く無言で静まり返った廊下を歩いていくと、煌々と明かりのついた病室に辿り着いた。
「あら、やっぱり来ちゃったのね、アンタ達。」
二人の姿を見つけた学院長、姫宮が苦笑する。
「当たり前！あんな話聞かされて心配にならないわけないじゃないですか！」
「ま、そうよね。でも、何が出来るってワケじゃないんだから。顔だけ見たら帰りなさい。」
「･･･はい。」
それはそうだ。
SGコースで使用している道具の数々や魂神であっても回復できる量には限度がある。
最後は本人の体力に任せる他ない。
(亮･･･。天草･･･。皆･･･。)
順番に皆の顔を見てまわる。
天魔との戦いでついた傷もあるのだろう。
満身創痍という言葉が相応しいくらい、全身傷付いていた。
巻かれた包帯や留められたガーゼに滲む血の色がいっそう痛々しい。
「あれ？」
そんな中でただ１人、夕だけがほぼ無傷だった。
姫宮が八雲の言いたい事に気付いたようで
「夕だけ無事でしょう？結崎が庇ったらしいのよ。救出に行った時、夕の上にアイツが覆いかぶさってたらしいわ。」
苦笑するその顔が苦しげに歪む。
何も出来ないもどかしさを感じているのは姫宮も同じようだった。
(やるじゃん、亮のヤツ･･･。)
目が覚めたらからかってやろう、なんて考える。
その時、夕の体が僅かに動いた。
「う･･･あ･･･。」
口から小さな呻き声が漏れる。
「夕･･･っ？」
思わず八雲が呼びかけるとその目がうっすらと開かれた。
「夕？夕？大丈夫か？･･･学院長、夕が！」
「え？何？」
姫宮が慌てて駆け寄ってくる。
そうしている間に夕はしっかりと目を開き、吐息のように呟いた。
「あ･･･、わたし･･･。どう･･･して･･･」
「夕、気が付いたのね。良かった！･･･っと、ナニこのナースコールの機械壊れてるじゃない。仕方ないわね。呼んで来るから二人ともそこにいて！」
姫宮が落ち着きなく病室を飛び出して行く。
「夕、気が付いて良かった･･･。気分悪くない？大丈夫？」
覗き込むとまだ焦点の合わない瞳に八雲の姿が映る。
「･････････。」
夕は何事か言おうと口を開いたようだが、そこから言葉が紡がれる事はなかった。
戸惑ったようなどこか遠くを見るような表情のまま、ゆっくりとその身をベッドの上に起こす。
「夕、無理するなって！今、学院長が看護士呼んで来るから。それまで寝てろよ。」
だが、八雲の制止など耳に入らないようでぎこちない動きのままゆっくりと辺りを見回した。
そのぼんやりした表情が、目を閉じて戸口に佇む剣持に向けられると同時に一変する。
「見ぃつけた･･･」
側にいた八雲はぎくりとした。
可愛らしい夕の声。
けれど、何か違う。
悪意とか殺意とか、およそいつもの彼女には似つかわしくないものがその声に混じっていた。
その事に剣持もすぐに気付いたようだった。
「今のは･･･？」
表情に緊張の色が浮かぶ。
先程の声の主が夕だと気付いて尚、剣持は戸惑っていた。
彼は彼なりの葛藤の後に、自分の仇と同じ姿の天魔を仲間と認めたのだ。
だから、今の殺気が彼女から発せられたのだと俄かには信じがたかったようだ。
そんな剣持に夕が声をかける。
「久しぶりね･･･ぼく？」
鈴を転がすような澄んだ声で、けれど酷く乾いた冷たい調子で彼女が笑う。
どんよりとしたひどく暗い笑みだった。
「な･･･っ！！」
剣持の目が驚きに見開かれる。
その声に、その口調に覚えがあった。
伊吹が見せた幻の中で、剣持の家族を惨殺した天魔だ。
「夕･･･っ！」
彼女は八雲の声など聞こえていないという風で剣持を見つめ続ける。
「会いたかったんだぁ。ずうっとね。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。」
甘い声で笑う。
姿は人間のままなのに、人ならざるものだと容易にわかる気配を振りまいて。
「きっ･･･さまぁ･･･！」
剣持の目に殺意の炎が灯る。
かちゃりと手持ちの刀に手をかける音がした。
「やめろ、昴生！」
八雲は慌てて二人の間に割って入った。
「止めるな！八雲！こいつは･･･っ！」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ」
剣持を抑えながら視線だけ彼女の方に返す。
低い声で牽制した。
「夕･･･、今やる気は･･･ないだろ？」
「殺させろ！こいつをっ！」
「やっても･･･いいよぉ？だって、昴生くんはやりたくて仕方ないって顔、してるもの。」
夕はまたしても楽しげに笑い、八雲の腕の中の剣持が必死にもがく。
その時、騒がしい足音と共に姫宮が看護士を連れて戻ってきた。
「夕、何起きてるのよ？具合は？」
途端に彼女がその表情を一変させる。
「あ、はい･･･大丈夫、です･･･。」
いつもの夕に戻る。
「学院長！そいつはー･･･っ！ごほ･･･っ！！」
剣持が叫ぼうとした瞬間、八雲は全力でその鳩尾に一撃を叩き込んだ。
予想外の攻撃に防御もなかった彼は体をくの字に曲げて咳き込む。
「ちょっと、アンタ達何やってんのよ！」
倒れこみそうな剣持を片手で支えると八雲はにっこり微笑んだ。
「すいません。もう遅いんで俺達帰ります。」
「ああ、そうね。」
「じゃあ、夕･･･また明日。」
何気ない風に会釈すると夕もまた微笑む。
看護士や姫宮が自分に背を向けているのいいことに、口が裂けそうなほどニヤリと笑って見せた。
「はい、八雲さん。明日はちゃんと学校に行きますから。」
声音だけはいつものままに。
「何故だ！何故止めた･･･っ！」
病院を出る頃、やっとダメージから回復した剣持は鬼のような形相で八雲を睨みながらその手を振りほどいた。
「だって、仕方ないだろ。」
「何がだ･･･っ！」
声が怒りに震えている。
「あそこでやり合ったら、皆死ぬぞ？」
意識不明の怪我人を守って戦うなんて絶対に無理だ。
「場所を変える。」
「学院長にバレるだろ？」
「構わないじゃないか。」
「だから！そんな自分が不利になる条件飲んでまで夕が場所変えて戦うわきゃないだろっ！」
「逃げられたらどうするっ？今晩のうちに、病室の皆を殺して！」
「あー･･･それは･･･。」
その可能性は多分低い。
だが、ゼロでない以上放っておくのもよくないのかもしれない。
「そうだな。教官達に言っておこうか。そしたら、手は打ってくれると思う。」
「手を打つ？」
「うん。神祇庁巻き込んで、捕まえるなり何なり。」
それが一番確実だ。
八雲は携帯を取り出すと、すぐに教官の名を探す。
その手を剣持が掴んだ。
「待て。」
「何だよ？」
「天魔が病室の連中を皆殺しにして逃げる可能性をお前が考えなかったはずがないな。何故だ？」
「なんとなく、それはないかなって思っただけだよ。」
「なら、それでいい。」
「はぁっ？今、自分で危ないって言ったんじゃないか！」
抗議するとさすがに剣持もばつが悪いといった様子で顔を背けた。
「悪い。だが･･･、」
血を吐くような苦しげな声だった。
「決着はこの手で着けたい。」
「あ･･･。」
今、この電話をかければ彼女の処遇は大人達の手に渡る。
剣持が夕と対峙する機会は永遠に失われるだろう。
それでは何のために剣持が多くの犠牲を払って戦ってきたのかわからなくなる。
「わかった･･･。」
八雲は携帯をまたポケットに押し込んだ。
来た時より遙かに重い足取りで寮へと戻る。
いつも張り詰めた空気を纏う剣持でさえどこか意識が散漫になっているようだった。
八雲は先程の事を思い出していた。
夕が病室の皆を殺さないというのは確証に近かった。
目覚めた彼女が、あの場で剣持に勝つ方法はいくつかあった。
例えば隣に寝ていた結崎でも、もっと近くで顔を覗き込んでいた八雲を使ってもいい。
意識不明の能力者と験力を失った八雲と、どちらも格好の人質になる。
剣持がいくら怒りに我を忘れていても、仲間の命を前に迷わないはずがない。
それに、そもそも彼女の注意は剣持にばかり向けられていた。
目的はそっちにある気がする。
だから、おそらく彼女は病室の皆に手を出す事はない。
やるならもっと上手にするだろう。
「そうだ、昴生？」
ふと思い立って前を歩く剣持に声をかける。
「･･･何だ？」
「今晩、一緒にいようか？」
「いや･･･必要ない。一人にしておいてくれ。」
それからしばらく歩いてから彼が微かに苦笑した。
「心配しなくても夜討ちを仕掛けに行ったりはしない･･･。」
その晩は二人にとってこれ以上なく長い長い一夜となった。
ＢＡＣＫ ＮＥＸＴ
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