| 尤 04 |
結局あれ以降、伊吹の気配はまるでない。
一連の悪夢だのなんだのはちょっとした悪戯心でちょっかいを出してきただけなんじゃないかと八雲は思い始めていた。
あの時一瞬感じた嫌な予感も一晩悪夢を見せられるという程度だったんだのかもしれない。
今日も今日で１日の授業を終えた学生達がそれぞれに帰途へつくところだった。
「よーし！今日はダンスの練習だぜ。夕も一緒に来るか？」
「はい、結崎さんのダンス見るの･･･楽しいです。」
いちゃつくバカップルその１
「じゃ、僕は図書館で勉強を･･･。」
「光も一緒に行くねーー！」
「え？いいよ、別に･･･。」
「ミッチーが何て言っても着いてくの！」
いちゃつくバカップルその２
「皆相変わらずよね。･･･馬鹿馬鹿しい。」
「うん。でも、楽しそうだからいいじゃない。そう思うよね？やくもん。」
「まあね。でもなんかこう･･･無性に邪魔したくなったりはするけど！」
「ええっ！それはちょっと･･･。」
「止めないわよ、私。」
「ええっ！」
日常の風景その１
「八雲。帰るぞ。」
「あ、今日は昴生の番だっけ？」
「･･･そうだ。」
じゃあ帰るかな、と呟いて八雲が立ち上がった時、教室内に聞き慣れた電子音が鳴り響いた。
「あ。」
その音の意味を知る者全員の口から思わず声が漏れる。
音の原因は携帯端末だ。
SGコース専用の。
それが鳴るということは、任務の呼び出しに他ならない。
「ちぇー。じゃ、行くかー。」
「仕方ないね。」
結崎と館脇が同時に立ち上がる。
「行きましょう。」
先程まで軽口を叩いていた天草があっという間に臨戦態勢の空気を纏う。
「じゃあね、やくもん。行ってくるよー！」
光は部活に出るのと同じような気安さで手を振った。
「うん。皆、気を付けて。」
一緒に行けないのがもどかしいとか、心配だとか言うわけにはいかないから、八雲はいつもの調子で愛情たっぷりに囁いてみた。
「お前なあ･･･。本っ当に好きだよな、そういう冗談･･･。」
呆れながらもさすがに慣れたらしい結崎が苦笑する。
「あ･･･八雲さんも、気を付けて帰ってくださいね。」
結崎の側についた夕が柔らかな笑みを浮かべて会釈した。
八雲は去っていく皆が廊下の端を曲がって姿を消すまでじっとそこで見送っていた。
それから剣持と共に教室を後にする。
そんな二人の後をちょこちょこと七瀬がついてきた。
「ね、やくもん。帰り、どっか寄らない？」
皆行ってしまって寂しくなったのかもしれない。
そういえば八雲も最近は七瀬と出かけていなかった。
「そうだな。寄ろうか。」
「断る。」
にこやかな返答は剣持の一言であっさり切って捨てられた。
振り返ってみるといつもの不機嫌そうな顔がそこにある。
「なんだよ？少しくらいいいだろ？」
「時間の無駄だ。」
睨みつけてみたが、返ってきたのは相変わらず冷たい返答。
「･･････。」
「･･････。」
思い切り剣呑な空気が流れ、誘った七瀬の方が慌ててしまった。
おろおろと二人を交互に見ながら仲裁にかかる。
「あ、あの！ごめんなさい。やくもん、また別の日にしよ。ごめんね、私から誘っておいて。」
「いや、今日行く。」
こうなったら何としても譲りたくない。
大体、剣持が当番の日は基本が寮まで直行コースで面白くないのだ。
この機会に少しくらい寄り道を譲歩させたいという思いもあった。
「･･･ふん･･･勝手にしろ。」
だが、それは得られそうになかった。
勝手に行けというなら仕方ないし、後にも引きたくない。
「そうだな、勝手にさせてもらうさ。行こうぜ、七瀬」
「え、でも･･･。」
戸惑う七瀬の背を押して廊下を歩き始めた所で、剣持が訝しげに呟く小さな声が耳に入った。
「･･････脅さないのか･･････？」
思わずぴたりと足を止める。
(俺って昴生にそういう認識されてるのか･･･)
「脅されたいのかよ？」
「だ･･･誰が･･･っ！」
一瞬声を荒げそうになった剣持だったが、ややあってからいつもと同じ調子で続ける。
「必要ならお前は、そういう手段をとるだろう？」
「昴生って街中とか騒がしい所、嫌いだろ？無理に付き合せるのも悪いしさ。大通りの明るい所だけ歩いてりゃ天魔が出ることもまずないから大丈夫だよ。」
いつも静かな場所ばかりを好む剣持を強引に連れ出す気はなかった。
ただそれだけだ。
「お前が気遣いを見せると気持ち悪いな･･･。」
ロクな言われ方はしなかったが。
「はいはい。じゃあ、またな。」
今度こそ七瀬と遊びに行こうと剣持を残して歩き出す。
その背に声がかけられた。
「何かあったら言え。その範囲にはいる。」
何と答えたものか八雲は一瞬言葉を失った。
相変わらず不機嫌そうだが、それは彼にとっては普通の声音で、しかも内容は譲歩したという返答に他ならない。
一緒に遊ぶのは遠慮するが、行きたいというのならいざという時に助けられる場所にいるから自由にしろ、と。
嬉しい一言だ。
顔が自然と綻びそうになる。
だが、素直に礼を言うのは癪だった。
だから八雲はいつも剣持がそうするように
「･･･ふん。」
と、短く呟いてそのまま歩き出した。
傾いた夕日が柔らかく３人を包んでいた。
「ラーメン、美味しかったなー！」
「そうだね。あの味、クセになっちゃうね。」
二人顔を見合わせて笑い合う。
寮に帰り着いた時にはすっかり夜になっていた。
少しその辺の店を周ってから七瀬お勧めの映画を見て、ラーメンを食べて帰ってきた。
ちょっとしたデートだ。
もっとも常にどこかに剣持がいたはずだが、特に気配も感じないので途中から気にしない事にしていた。
「じゃあ、やくもん。また明日ね。」
「おやすみー、七瀬！」
女子寮に入っていく七瀬を手を振りながら見送った。
(･･･うん、充実した一日だった)
満足して一人うんうんと頷く八雲の後ろで馴染んだ冷たい声。
「･･･気が済んだか･･･？」
振り返るとそこには当然の如く剣持昴生が立っていた。
(･･･いたんだ、本当に。)
半ば呆れて本音が漏れそうになるのを辛うじて抑える。
律儀というか何と言うか･･･人のデートについてまわる護衛なんか最悪に退屈だろうに。
「あ、ああ。悪かったな。でも、いい気分転換になったよ。」
実際、毎日の送り迎えに皆がついてくれるようになってからは七瀬と二人きりで出掛ける機会は皆無になっていた。
剣持の妙な親切のおかげで、とりあえず今日は二人きりの気分を味わえたのだ。
感謝しないはずがない。
「いつもだとこうはいかないし。また次ー･･･」
「そうそう毎回は付き合わんからな。」
“また次もお願い”と言いかけたところで、しっかり牽制された。
「ちぇー。」
残念と思いつつも、八雲とてそうそう頼める話でないとはわかっている。
「まあ、いいや。それでさ･･･」
言いかけたところで今度は鳴り響く電子音に中断された。
「あれ？」
八雲と剣持の双方から音がする。
それは先程と同じくSGコース用の携帯からだった。
「任務か･･･？」
「俺のまで鳴るのって変だよな･･･？」
二人して一瞬警戒する。
験力を失くした八雲に任務の電話が鳴るはずがない。
なら、一体何事か。
数秒ほどの逡巡の後、二人同時に携帯を取る。
「はい、草薙です。」
「剣持です。」
電話の主は学院長だった。
「ああ、良かった。アンタ達、今一緒にいるわけ？」
明らかに安堵した声に、逆にこちらが不安を覚える。
「はい。何かありましたか？」
「大丈夫よ。でも一応連絡事項ね。」
「･･････。」
「今日の任務中にちょっとした事故があったの。」
「･･････っ！」
「心配しなくても、命に別状はないわ。」
命に別状はない。
それは死なない程度に重症だという事だろう。
でなければ、わざわざ八雲にまで連絡してくる意味がない。
「怪我したの、誰ですか？」
誰であってもすぐ見舞いに駆けつけたい。
そんな八雲の思いは次の一言で打ちのめされた。
「全員よ。」
「･･･え？」
何を言われたのか頭が理解を拒む。
頭が真っ白になるという現象をその身で体験した。
(ウソだろ･･････？)
SGコースの生徒達は皆強い。
鬼と渡り合ってきたような連中だ。
それが全員？
「そんな強い天魔が出たのか･･･ッ？」
いつも目上には最低限の敬意と敬語を欠かさない剣持でさえも動揺する。
「あー、そうじゃないのよ。今日の場所、すごく古い建物でね。天魔とやりあってたら、たまたまあった不発弾に命中しちゃって大爆発･･･ってワケ。」
少し困ったような苛立ったような声が電話越しに聞こえてきた。
それなら本当に“事故”だ。
天魔にやられたのでないと知って、二人から僅かに緊張が抜ける。
「それで、皆の容態は？」
「全員意識不明の重症よ。でもさっき言った通り、命に別状はないから安心して。皆、回復も早いからそんなに深刻になる必要もないわ。剣持！」
「はい。」
「そんなわけだから、彼の護衛。しばらくあなたが続けて。」
「わかりました。」
二人に電話をかけてきた理由はそれを伝達するためだったようだ。
剣持はいつもと同じ調子で頷く。
「じゃあ、二人とも。あんまり心配しないように。」
それだけ言うと電話はかかってきた時と同じ唐突さで切れた。
今の話で心配するなという方が無理がありすぎる。
八雲は携帯を素早くポケットに押し込むと剣持に声をかけた。
「･･････昴生･･･。」
すぐに皆のところに行きたかった。
意識不明だなんてよっぽど酷いに違いない。
搬送先は検討がついている。
だが、今日散々我侭を行った後だったので気が引ける。
「･･･行くか。」
みなまで言わぬうちに剣持の方から切り出された。
「え？いいの？」
予想外の事に驚く。
しかしよくよく考えてみれば剣持はいつも、本当に必要な時には協力を拒まない人間だった。
「止めても勝手に行くだろう･･･？」
馬鹿にしたような言い方に少し腹は立つが。
「その場合は、コアラしゃしー･･･あたっ！」
言い終わる前に刀の鞘でどつかれた。
「無駄口叩くなら置いて行く。」
八雲はさっさと歩き出す剣持の後ろを慌てて追った。
「待てって、昴生！」
思えばいつも後ばかり追いかけている気がするな、と思いながら。
ＢＡＣＫ ＮＥＸＴ
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