| 治基×紗依 ＳＳ ３ |
『働かざる者、食うべからず』
その一言で治基はゲイツの下で働くこととなった。
元々飲み込みの早い治基だ。
言葉も仕事もすぐに覚えた。
働くのはいいことだ。
得た報酬で紗依に満足な食料も洋服も買うことが出来る。
もちろん、大変なことも多かった。
ゲイツとも散々ぶつかった。
「しかしのう、治基は一々態度が大きすぎるぞ。」
「五月蠅･･･いや、そうは言うがこれでも私は･･･」
恩あるゲイツに逆らうわけにもいかず、望月藩では結構な立場にあったのだ、と
言うわけにもいかず、苛立ちを募らせることもあった。
慣れぬ肉体労働でくたくになる毎日だったし、
とりわけ、生活習慣や文化の違いで現地の人とぶつかることには参っていた。
疲れて帰って･･･でも、そこに紗依がいるだけで心が安らいだ。
時折彼女が見せる微笑みが、いつも治基を救っていた。
だから、どんな時も頑張れたのだろう。
触れ合う人々に感謝し、共に過ごし共に笑い、治基は徐々に変わっていった。
気付けば彼は出世欲にまみれた侍から、優雅な紳士へと変貌を遂げていた。
柔らかな物腰、穏やかな笑顔。
恋焦がれる女性も多かったが、治基は一度も揺らぐことなくフィアンセの少女のみを大切にしていた。
仕事が軌道に乗り、金銭に余裕が出来ると、治基は彼女を多くの医者に見せ始めた。
せめて手足が少しでも自由に動くように、せめて少しでも話すことが出来るように、と。
だが、その容態は少しも快方に向かう気配がなかった。
治基はその度に酷く落胆し、けれど諦める事はなかった。
どんなに遠くても腕のいい医者がいると聞けば飛んでいった。
「きっと紗依さんの体が動かないのは精神的なもののせいでしょう。」
「精神、ですか？」
「ええ、おそらくは事故のショックで。」
「そう、ですか･･･。」
事故のショック･･･それは兎にも角にも治基に非の有ることだ。
聞くたびに心が沈む。
そんな彼の姿に同情したのか、医者は慌ててつけたした。
「そういえば、フランスに腕の良い医者がいるそうですよ。
フェイク家という由緒正しい家柄出身の医者だそうで。或いは彼ならば･･･。」
「本当ですか！？」
がばっと治基は顔を上げた。
「いや、必ず治るというわけでは･･･。」
「いいんです、どんな僅かの希望でも私は諦めません！」
紗依のためと思えばどんな事も苦ではない。
「本当に貴方は頑張りますね。こちらとしても応援したくなる。
それを彼女が覚えていないのは残念ですね。」
「え･･･？」
「ああ、知りませんでしたか？良く言うでしょう？
記憶が戻ると、代わりに記憶を失っていた間のことは忘れてしまう、って。
彼女が記憶を失ってから、あなたがどれだけ献身的な介護をしてきたか･･･
彼女が忘れてしまうのは惜しい話です。」
「･･････！？」
青天の霹靂とはまさにこの事だ。
忘れる？
こちらに来てから共に過ごした時間を？
治基はさーっと血の気の引くのがわかった。
紗依は今、誰よりも治基に懐いてくれている。
彼が家に帰ると嬉しそうな顔をするし、疲れていれば心配げに見つめてくる。
たまに、優しく微笑んでくれることもある。
それがなくなる。
治基は足元からがらがらと崩れていくような気分だった。
元々、紗依と自分は敵同士だった。
狙う者と狙われる者。
そして、最後は紗依を愛する者と引き離して道連れにまでした。
怨まれて当然の間柄だ。
だが、記憶を失くした紗依は何も知らず治基を好いてくれている。
だから、何とかなるような気がしたのだ。
紗依に記憶が戻っても、共に過ごし、
あの山中から生き延びた日々があれば･･･許されるのではないかと。
彼女がまたこの先もずっと共にあってくれるのではないかと、思っていた。
だが、無理だ。
共に過ごした時間は露と消え、彼女の記憶にある自分は欲に取り憑かれた男に過ぎない。
きっと、去っていくだろう。
「あの･･･ミスター治基･･･？どう、されましたか･･･？」
治基の様子がおかしい事に気が付いた医者が心配そうに覗き込んでくる。
「い･･･いいえ。何でもありません。希望が見えて嬉しくて、つい･･･。」
絶望が見えて、つい･･･だ。
治基は挨拶もそこそこに急いで家へと戻った。
一刻も早く紗依の顔が見たい。
今はそれだけだった。
「紗依･･･っ！」
ふかふかのベッドに紗依は寝かされていた。
相変わらず、その身を起すことさえままならない。
だが、視界の隅に治基を捉えるとその顔をほころばせた。
駆け寄って頬に手を伸ばした。
「紗依･･･。」
嬉しそうなその表情を見ていると、切なくなる。
紗依の記憶を奪ったのも、体の自由を奪ったのも全ては治基だというのに。
紗依が愛おしい。
失いたくない。
けれど、治基はもう紗依がずっとこんな風に動けないままであるのも耐えられなかった。
憎まれるのも仕方ない。
贖罪を･･･許されることはないかもしれないが、それでも。
自分に出来うる全てで彼女を守りたい。
「紗依･･･。きっと、あなたを治してみせますから･･･。共に行きましょう、フランスへ。」
彼女の髪を撫でながら、治基は穏やかに語りかけた。
だがそれは、生き抜くのを決めたのと同じくらいの覚悟でだった。
きっとこれが二人で過ごす最後の時になる。
紗依が記憶を取り戻す数ヶ月前の事であった。
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