| 尤 07 |
｢きみの胆、わたしが食べてあげるっ！｣
尤と剣持、二人は同時に地を蹴った。
次の一撃で全てが決まる。
どちらが生きるか死ぬか。
肉を切らせて骨を絶つ。
無傷の勝利は有り得ない。
覚悟は互いに出来ていた。
しかし、次の瞬間…
｢馬っ鹿ヤロー！駄目に決まってるだろーが！｣
二人の間に黒い影が飛び込んできた。
それが何なのか確認するだけの時間はなかった。
そして、既に攻撃態勢に移っていた二人に今更動きを止めることなど出来るはずも無い。
同時にぐしゅっつと嫌な音がした。
赤い飛沫が目の前に広がる。
だが、体のどこにもその攻撃を受けたはずの痛みはない。
敵を確実に倒すために繰り出された一撃は、割って入った八雲の体を貫いていた。
ごふっ･･･と、彼の口から多量の血が吹き出す。
剣持の目の前で八雲の腹を突き破った尤の爪が血を纏って煌めいていた。
尤の眉間から数センチの所に、八雲の背を貫いた剣持の刀の切っ先が迫っていた。
｢…っ！｣
｢…!!｣
時が止まったようだった。
二人は息を飲んで固まったまま動けなかった。
あと少しだ。
あと少し、この刀に力を込めれば。
憎い敵を仕留める事が出来る。
けれど、それは草凪八雲の命を絶つ事に他ならない。
軽くて馬鹿でいつもしょうもない事ばかりしているお調子者のこの男の命を奪ってでも目的を果たすか？
一瞬の沈黙の中で剣持は自問した。
どうするのが正しいのか答えが出なかった。
以前なら、躊躇いなく彼の体ごと敵を切り裂いただろう。
そのためにこの力を得た。
心なんかなくてもいい。復讐さえ叶えば、と思い続けてきた。
それなのに･･･。
だが、剣持が答えを出すより先に絹を裂くような悲鳴があたりに響いた。
「いやあああああああああああああああああぁ！」
そして、目の前にぽっかり穴が開く。
彼女が後ろに飛びのいた拍子に刺さっていた爪が抜けたのだ。
そこから流れ出す血を慌てて抑える。
困惑した剣持が注いだ視線の先で･･･彼女は震えていた。
壁に背を預け、いやいやをするように首を振る。
「やだ･･･。どうしよう、わたし･･･。八雲さんが･･･。」
その姿はどう見ても夕で、剣持は更に戸惑った。
今なら殺せる。
だが･･･と剣持は憤りに唇を噛締めた。
この天魔は剣持が八雲の命と己の復讐とを天秤にかけて迷っている間に、さっさと答えを出していたのだ。
考えたり迷ったりする事もなく、八雲を傷付けた衝撃に打ち震えている。
それが本当なら普通の反応なのに。
(普通･･･？)
自問自答する。
普通の人間ならそうだろう。
でも、天魔は普通はそうしない。
喜んで敵の体を切り刻む。
八雲を傷付けたショックで夕が戻ったのか。
どちらにせよ、この天魔は八雲を殺そうとはしないに違いない。
「おい！キサマ！」
がたがたと震えるばかりの尤に声をかける。
「な･･･何･･･？」
「傷を･･･八雲の傷を抑えてろ！薬を持ってくる！」
「い、いいの･･･？わたしなんかに任せたら、胆抜いちゃうかもしれないよ？」
困惑した顔で尤が呟いた。
「今は、お前を信じる。そいつの命も預ける！」
愚かな話だ。
さっきまで命のやりとりをしていた敵なのに。
でも、八雲の怪我の前で泣く彼女は悔しいけれど、剣持自身よりも信じられる気がしていた。
「わ、わたし･･･少しなら、回復も出来る、から･･･」
涙でぐしゃぐしゃのまま尤が頷く。
「そうしろ。」
言うなり、剣持は旧校舎隣の購買部へと走り出した。
あの瞬間、飛び出してきた八雲の顔を思い出す。
何の躊躇いもなく彼はその身を捨てる。
これで２度目だ。
どこまで馬鹿なんだろう。
あんな場面で飛び出したらどうなるかくらい容易に想像出来るのに。
そこまで考えてふと、それは違うのだと気付く。
『逃げろ！昴生！』
叫んで敵の前に躍り出た父の姿を思い出した。
それはもう人の原型さえも止めていないような酷い有様で、指先一つ動かすにも想像を絶する苦痛が伴っただろうに父は技を放って剣持を守ったのだ。
自分の身が惜しくない人間などいない。
けれど、それよりもっと大切なものがあるからその身を犠牲に出来る。
(馬鹿なんじゃない･･･でも、やっぱりお前は馬鹿だ。八雲！)
八雲があんな無茶をしたのは、自分自身より大切なものがそこにあったからだ。
その大切なものは･･･きっと、剣持の事でもあるのだ。
(俺はそんな風に思われるような人間じゃない。八雲の命と復讐との間で迷った･･･)
胸の奥がざわざわした。
久しく忘れていた何か締め付けられるような痛み。
これを普通の人たちは何と呼ぶのだろう。
そして、そこまで理解して尚、剣持は自分の事に気付いていなかった。
八雲のために復讐を捨てたという事実を。
それが自己にのみ殉じきた自分の生き方と違っているという事も。
八雲がどれほど大切な存在になっていたかという事も･･･まだわかっていなかった。
八雲は、尤の回復術と剣持が購買部からありったけ持ってきた薬とで一命を取り留めた。
尤はその姿をすぐに人のそれに戻し、剣持と共に学長室に駆け込んだ。
そして、姫宮の手配によって彼はすぐに病院に担ぎ込まれる事となった。
八雲がＩＣＵに運び込まれたところで二人はやっと胸を撫で下ろした。
互いに白い制服が彼の血で真っ赤に染まっていた。
「お前は･･･結局、どっちなんだ？」
待合室の長イスに腰掛ける彼女に問う。
憎しみが消える事はなかったが、今彼女を殺す気にもなれなかった。
「どっちも。悔しいけどわたしは尤で夕だもの。でも、さっきは失敗したなぁ。思わず八雲くんを助けちゃったよ。」
彼女が尤の口調で自嘲気味に笑った。
「ねぇ。決着、つけようか？」
「今更･･･何を･･･。」
ぐい、とその手を剣持の前に突き出す。
そして、天魔の姿に戻った。
当然、目の前にあの鋭利な爪を突きつけられた格好になる。
「どういうつもりだ･･･？」
「切りなさい。」
「･･･なんだと？」
「きみが私の爪を切ったら、記憶は自分で封印するわ。それで終わり。」
剣持は復讐を諦め、彼女は天魔に戻ることを諦める。
そういう形で決着をつけようというのか。
「わたしたちが戦ったら、八雲くんは何度でもアレやるよぉ。そんなことしてたらすぐ死んじゃうね。」
無邪気な笑顔で相変わらず物騒な事を言う。
だがその通りだろう。
「そのために、諦めろと･･･？」
「だってイヤでしょ？そんなの見るの。」
「･･････。」
そんな事、天魔なんかに言われるまでもなくわかっていた。
「わかった･･･。」
「はい、よくできました。じゃあ、さっさとやってね。」
「･･････。」
尤が再び剣持の前にその手を差し出した。
それから笑う。
「言っておくけど、謝らないからねぇ。わたしは今だって人を弄るのも切り裂くのも大好きなんだから。力のある人間の胆の味って最高なんだよぉ。」
最後の最後まで厭な天魔だ。
「･･････ふん。」
溢れそうになる憎しみも怒りも、今度は上手くやり過ごした。
そして刀で一刀両断。
長く尖った爪は彼女の指先から離れると、床に落ちる前に霧散した。
夕は人の姿に戻り、そのまま意識を失った。
倒れる彼女を受け止めながら剣持は深いため息をついた。
長い復讐の日々は、剣持の心に小さな変化だけをもたらして静かに終わってった。
どかーん！
がらがらがら。
何か重いものが吹き飛んで棚にぶつかって、物が落ちた。
そんな感じの音だろう。
モーニングコールにしてはいささか煩すぎる。
そう抗議しようとして体を僅かに動かしただけで全身に激痛が走った。
「･･･〜〜っ！」
声にならない悲鳴を上げ、目に涙をためた八雲が見たのは･･･吹っ飛んだ剣持だった。
飛ばしたのは体中包帯だらけの結崎だ。
(何が起きてるんだ、コレ？)
全く事情が掴めずに、視線だけ彷徨わせて様子を探る。
「ふざけんなよ、昴生！どういう事だよ！何でお前がついてて、やくもんがこんな事になってるんだよ･･･ッ！」
涙混じりの叫び声に、剣持は何一つ弁解しなかった。
「･･･俺のせいだ･･･。」
「そんな事はわかってる！俺が聞いてるのは、お前がいたのに、どうして天魔なんかに･･･ッ」
言葉の最後は涙で消えた。
(あー･･･なるほど。)
そのやりとりに大体の事情がわかる。
白い天井、白い壁。
ここはきっと病院だ。
そして、八雲はとりあえず生きている。
意識不明だったＳＧコースメンバーは無事に回復したが、目が覚めたら八雲が生死の境をうろうろしていて驚いた、とかそんな所だろう。
「もうやめなよ、亮･･･。そんなことしてもやくもんの容態が良くなるわけじゃないし。」
「うるせぇッ！そんな事･･･わかってるに決まってるだろ！」
館脇が宥めにかかるが、効果なし。
剣持は切れた唇を手の甲で拭いながら立ち上がった。
「気が済むまでやればいい･･･。」
「いや、それはちょっと。昴生殴っても、俺の傷治らないしさ。」
「だから、そんな事わかって･･･って、やくもん！？」
思わず呟いた一言に剣持が反応する。
物凄い勢いでベッドに駆け寄ってきた。
「亮、意識戻ってよかったな。心配したんだぜ。」
「いや、それ俺のセリフだから･･･。」
呆れながらも明らかにほっとした様子で結崎がため息をつく。
その背後でがらがらと音をたてて剣持が出て行くのが見えた。
(昴生って相変わらずそっけないよなー。)
だけど今、こうして結崎と館脇が暢気に八雲の見舞いになんか来ている所を見ると、彼は尤への復讐をやめたのだろう。
何がどうしてそうなったのかは全くわからないし、あの剣持のことだ。聞いても答えることはないだろうが。
(だけどまあ、いいや。皆無事なら、それだけで。)
安心したら急に眠くなって、八雲は再び目を閉じる。
窓から差し込む陽光がぽかぽかと暖かくて気持ちのいい午後だった。
| ＢＡＣＫ ＩＮＤＥＸ |
| あとがきＴＡＬＫ |
| 妙に長い話になってしまいました。 テーマは昴生と夕の決着＆昴生が八雲に落ちる話。 っていうか、夕と昴生は原作ゲームでオチがつかないのがもやもやして書いてみました。 いつか続編とかでその辺語られたらこの話は下ろさなきゃいけなくなるかもしれません、って程のオリジナル話にしていまいましたが。 ま、いいよね。 それが二次小説の楽しみ方だったりとかするかもしれないし(と、開き直り)。 あと、甘さよりも流血の方が多かったですが一応コレで昴生は八雲への『すごい特別かも』みたいな気持ちを自覚したってコトで。 甘い話も書いてみたいですよね。 |