| 尤 01 |
元気な声が聞こえてきて、窓際に佇んでいた八雲は何気なくそちらに目を向けた。
光の声だ。
彼女はいつも元気で…ちょっと突き抜けたほどのそのパワフルさには敬服するものがある。
今日も今日で何やら館脇を捕まえて楽しそうにしている。
腕を掴まれたままの館脇も表面上迷惑そうにはしているが、実はまんざらでもないようだ。
平和を絵に描いたような光景に八雲の口元が綻んだ。
放課後の教室。
傾き始めた太陽が柔らかく室内を照らしている。
SGコースの呼び出しもなく、のんびりとした雰囲気の中で皆なんとなくその場に集っていた。
「ね。ね。聞いてよ！光とミッチーの相性はすごくいいんだって！」
楽しげに光が占いの本をぶんぶん振ってみせる。
「そんな、大声で言わなくても…。」
照れているのか少し顔が赤い。
良かったわね、と半ば呆れて天草が返し、微笑ましそうに七瀬が相槌を打っていた。
その時、急に教室のドアが開いて無愛想な男が姿を現す。
「八雲。帰るぞ。」
験力を失った八雲を念の為交代で送り迎えする、というのもSGコースの任務の1つとなっていた。
「あ、昴生。」
出口で黙ったまま立っている彼は、寄り道も無駄口も待つのもイヤ、という無言の圧力を八雲に送ってくる。
急いで付いていかないと置いていかれそうだ。
慌てて八雲は荷物をまとめて剣持に駆け寄った。
教室内では相変わらず光が騒いでいた。
「次ー！誰か、占って欲しい人ー？」
「あ、オレオレ！オレと夕ってどう？」
嬉しそうに身を乗り出す結崎と、その後ろで恥ずかしげにそっと頬を赤らめる夕。
「フム。」
その二人を見た八雲の足が止まった。
少し考えるように首を傾げる。
あれは面白そうだな、と八雲は思った。
「おい、もう行くぞ。」
剣持が少し苛立った声を上げる。
「ちょっと待って、昴生。」
言うなり八雲は剣持の腕をつかんでずるずると教室中央までひきずって行った。
「お、おい！こら！」
彼の抗議の声は当然無視。
「光！次、俺と昴生で。」
光の前まで来た八雲がそれはそれは楽しそうにそう言った。
「やくもん、俺が先だぜ。」
「いや、つっこむべきはそこじゃないんじゃあ…？」
「俺はやらん！」
三者三様のツッコミが入る中、光が困ったように小さく呟いた。
「いいけど、やくもん…。これ男女用だから、どっちか女の子設定にしなきゃダメだよ？」
「うん。じゃあ昴生を。」
八雲はにっこり笑って即答した。
「何故だっ！」
剣持もツッコミの反応が早くなった気がする。
八雲と一緒にいると、いつか血管が切れるんじゃないだろうか、とその場にいた全員がこっそり心配するほどの剣幕だった。
「昴生って髪長いし。」
「理由にならん！」
断固認めないという剣持の訴えを八雲は
「…いいって、光。気にしないでやっちゃって。」
あっさりと無視した。
「こら、八雲！俺は…」
そして、尚も抗議を続けようとする剣持に向き直ると、にこやかな笑顔を貼り付けたままおもむろにポケットに手を突っ込んだ。
「こあら…。」
ぼそっと周囲に聞き取れないような低く小さく…冷たい声で呟く。
「！？」
途端に剣持の表情が凍りついた。
「…キ、キサマーっ！」
一瞬遅れて叫び声が上がる。
地獄の底から復讐に来たと言われても納得しそうな怨嗟の声に、側に居た結崎と館脇は盛大なため息をついた。
「なんか…やくもんに弱みを握られたら人生終わりそうな気がするよね…。」
「……だな。」
あの写真を持ち出された時点で、彼に逆らうという選択肢はなかった。
露骨に不機嫌なオーラを放ちまくる剣持を尻目に楽しげな八雲が光の前に立つ。
「じゃあね、二人の相性を占いまーす！えっと、今回は名前の画数とかで占うやつね。」
本を見ながらああでもないこうでもないと呟きながら、メモ帳にあれこれメモしていた光は暫くして顔を上げた。
「出たよ。」
「うんうん。どうだった？」
「ええっと…」
期待に目を輝かせている八雲を見て、彼女の顔が一瞬曇る。
「…１３点。二人の相性はかなり悪いです。特に性格は全く合いません。一緒にいるとトラブル続出です…って。」
「…………え？」
八雲が固る。
だが、納得いかないのは八雲だけで、周囲は皆大当たりだ、光の占いもばかにならないと関心していた。
「嘘だろーーーっ！光っ！もう1回！もう1回やり直したら結果変わったりとかっ！」
「た、多分、ムリ。」
「そんな…。」
半泣きで縋るも駄目だと言われ、がくりと八雲が机に両手を付いて肩を落とす。
「ふん。馬鹿馬鹿しい。」
剣持はその背後で呆れ返っていた。
「でも、昴生〜っ！」
「たかが素人占いだ。気にするな。」
ため息混じりに呟く。
「…ん？」
絶対馬鹿にされると思っていた八雲は、今の剣持の言葉に引っかかりを覚えてもう1度反芻した。
「あれ？」
何度考え直してみても、慰められたようにしか聞こえない。
それ見たことか！と八雲に反撃するチャンスだったろうに…彼はそれをしなかった。
占い本の出す答えよりも剣持の方が信じられる。
少なくとも彼は、八雲との相性が悪いことを喜びはしなかったのだから。
「……さんきゅ。昴生。」
いつもみたいに愛してるぜーと抱きつこうかとも思ったが、なんだかそうするのは勿体無い気がして八雲はそっと呟いた。
「ふん。」
剣持はいつものように無表情のまま視線を逸らす。
相変わらずわかりにくい男だが、照れているのかもしれない。
占いをしたいと言ってみたのはちょっとしたイタズラ心だったが、こんな剣持を見られるんなんて思わぬ収穫だ。
そうこうしている間に、八雲の気が済んだと見た結崎が光の元へと駆け寄る。
「じゃ、次オレな。オレと夕で。」
「…はい。お願いします。」
「うんうん。えっと…結崎亮…と。えーと、夕ちゃんは…、姫宮夕でいいのかな？」
光が手元のメモ帳に二人の名前を書き出す。
「あ。…どうなんでしょう？私の名前…本当は夕じゃなくて尤かも…。」
「え？どんな字？」
「えっと…。」
光から渡された可愛らしい絵柄のボールペンを手に夕がメモ帳に文字を書く。
『尤』
その字を見た瞬間、光の傍らにいた館脇の顔が微かに曇ったのを八雲は見逃さなかった。
(何だ？今…一瞬ミッチーが…。)
怪訝に思って館脇を見ると、彼は何気ない動作で『尤』と書かれたメモ帳をはがして手の中に握りこんだ。
「光、夕の名前は夕のままでいいと思うよ。学長がそういう風に登録したし、僕らはみんなそうだと思ってたんだから。夕も…いいよね？」
「は、はい。」
静かな、けれど有無を言わせない口調に夕が気圧される。
「じゃ、やってみるね！」
光が二人の名前をメモ帳に書いて、本を覗き込んだ。
期待一杯の結崎と、同じく興味津々の夕。
楽しそうな光景だ。
だが、そんな二人を横目に見ながら、八雲はそっと目を伏せた。
館脇が隠した紙切れは、何の変哲もないメモ帳だ。
ならば、彼が隠したかったのはあの文字か。
(尤ね…。何だろう？ミッチーを問い詰めても吐かないだろうな。あいつ、あれで結構頑固だし。)
歩く辞典と言えそうな館脇の知識に追いつくことは無理でも、彼がよくいる図書館にでも行けばある程度は掴めるだろうか。
あの文字の意味は知っておくべきだ、と直感が告げていた。
「もう帰ろうぜ、昴生。」
「ああ。」
「帰りに少し図書館寄りたいんだけど、いい？」
「…好きにしろ。」
八雲の声音がいつもと違う事に気付いたのかもしれない。
普段なら駄目だと言いそうな剣持が、あっさりと了承した。
そういう意味で彼は誰よりも八雲の理解者だ。
それが必要な時ならば決して拒まない。
二人は、まだ楽しげに騒いでいる友人達を背にしてそのまま教室を出て行ったのだった。
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