seedling child 　　1 ｢運動会の優勝を祝して！！｣ 『カンパーイ！！』 皆が一斉に声をあげ、グラスのぶつかる音が狭い室内に響く。 今日は月詠学院の運動会だった。 例によってパン食い競争を選んだ八雲やリレーの天草など… 見事な成績を残して優勝を勝ち取った。 よって、その祝勝会である。 皆それぞれに好きなものを持ち寄って騒ぐだけ、であるがそれが楽しい。 結崎はあれほど練習で散々パンを食べたというのに更にパンを買ってきて 八雲に冷たい目で見られたりしていたが。 ｢今日のお勧めは！｣ おもむろに八雲が立ち上がり、皆がおおー！と注目する。 ｢天照郷から送られてきたタヌキ汁セットでーす！｣ 続く拍手。 ｢あの子がすごく美味しいって言ってたやつだよね。光、楽しみー！｣ ｢狸汁って、確か狸の肉じゃなくてコンニャクの入った精進料理だよね。｣ 光と館脇は共に嬉しそうだった。 例え二人が想像しているものがまるで反対の物だったとしても。 ｢お、懐かしいなー！｣ ｢……もう春なのに汁物なの？｣ ｢……。｣ それぞれがそれぞれの反応をする中、上機嫌の八雲が大ナベを持ってくる。 ゴボウと大根が入った味噌汁。 見かけだけなら豚汁とそう変わらない。 湯気が立ち上り、とても美味しそうだった。 ｢じゃあ、配りまーす。｣ 七瀬が手際よくナベから汁をお椀によそって皆に手渡していく。 ｢いっただきまーす！｣ 狸汁は八雲の大好物だった。 娯楽のない天照郷にあって狸狩は遊びの一環だったし、 雪に閉ざされる寒い冬に皆で温かい汁物をすするのも楽しみだった。 そんな懐かしい思い出の一品である。 ｢あ、美味しーい！｣ と光が声を上げる。 ｢だろ？｣ ｢この…硬いの…コンニャクじゃないよね…？ナニ…？｣ 何か得体の知れない物を食べてしまった館脇がおそるおそるといった風で聞いてきた。 ｢あ、それタヌキ。｣ 屈託なく答える八雲に館脇は青ざめ、 ｢え！本物なの？｣ 隣で聞いていた天草が焦る。 ｢まあ、天照郷の場合、本物のタヌキだろうな。｣ ずるずると汁をすすっていた結崎が呟いた。 あの郷の時代錯誤っぷりは並ではない。 きっとこの狸も郷の人自ら狩ってきたに違いなかった。 ｢でも、臭いとか気にならないよね。｣ 七瀬は思ったより恐ろしい物でなくて安心したという風だ。 ｢ワラにくるんでさ、しばらく埋めとくと臭わないんだよ。そうじゃないと酷いことになるぜ。｣ ｢………。｣ どこまでも上機嫌な八雲の横では剣持が無言で狸汁のおかわりをよそっていた。 ｢あの…おいしい…です。｣ 後ろでおずおずと夕も感想を述べる。 楽しい時間が過ぎゆく中、不意に聞き覚えのある音が一同の耳に響いた。 カシャ！ ｢あー！伊地知、お前いつの間に！｣ ｢相変わらず、急に来るなあ。｣ ｢よ！草凪、久しぶり！｣ ニッと笑って伊地知がカメラから顔を上げる。 その姿に露骨に顔をしかめたのは天草だった。 ｢また変な写真、撮ったんじゃないでしょうね？｣ ｢今日のは普通だって！あと、草凪。｣ ｢ん？｣ ｢ほら、これ！あの時もちゃんとカメラは守ったぜ。｣ 彼は先日天魔に襲われたのだが、それでも直前に撮った写真は守りきったらしい。 そんな時だけはカメラマン魂を発揮するようだ。 ｢あ、これかー。ほら、七瀬〜？｣ 渡された写真を見て八雲の顔がほころぶ。 夕暮れの教室で二人、七瀬と八雲が並んでいる。 といっても、八雲が七瀬の腰に手を回そうとしてはたかれている、という いささか情けない構図だったが。 ｢わ！やだ。結局この写真なの？｣ ｢自然体でいいじゃないか。｣ 被写体は不満のようだが、撮った方の人間は自慢げだった。 ｢はぁ〜、アンタって本当にいつもいつも…。｣ 覗き込んだ天草が心底呆れたようにため息をつく。 ｢ふーん。｣ つられて写真を見た結崎は何となく面白くなさそうな顔をした。 ｢さんきゅ、伊地知。これ肌身離さず持っとくよ！｣ その言葉に反応した男が二人。 ｢……ふん。｣ コアラ被害で写真が既にトラウマに近い剣持と ｢……。｣ 先程から何か機嫌の悪い結崎だった。 ｢え？ちょっと、やくもん！そんな写真持って歩かれたら恥ずかしいよ。｣ 焦る七瀬に剣持が呟く。 ｢こいつに妙な写真を持たせると、恐喝のネタにされるぞ…。｣ ｢ええっ！そうなの、やくもん？｣ 七瀬に詰め寄られて八雲は慌てて首を振った。 ｢しない、しない！俺が七瀬に脅迫なんかするわけないだろ！｣ ｢そうだよね…ごめん。やくもん。｣ ｢これは単に“七瀬の腰に触れなかった記念”だから脅したりなんか……ごふっ！｣ ｢このアホ！没収！｣ 調子に乗った八雲は後ろから狸汁のナベ蓋で天草にしたたか殴られる羽目となった。 ついでに写真ももぎ取られる。 ｢あいたた、理緒、写真返してくれよ！｣ 頭を抑えながらどうにか起き上がった八雲が七瀬に哀願する。 ｢駄目に決まってるでしょ！｣ ｢ホント、ごめん！マジすいません。反省してるから！｣ 潤んだ目で必死に天草を見上げた。 ｢もう馬鹿なこと言わない？｣ ｢言わない言わない、言いません！｣ ｢っとに…。しょうがないわね。｣ あまりの情けなさに天草が折れた。 「やったー！写真ー！｣ 受け取った写真を持ってくるくる回る様はかなり子供っぽい。 だが、思い出の品が戻って本気で嬉しかったのだ。 八雲は取られる前にと今度こそ写真をしまいこんだ。 ｢でもさ、マジな話…。写真は大事だよ。 卒業したら俺、天照郷に帰るから。なかなか皆にも会えなくなるし。｣ どこか寂しげなその口調に天草の声も和らぐ。 ｢アンタ、本気で帰るの？｣ ｢まあ、ね。｣ 八雲とて本当のところ、今となっては帰りたいのかどうかわからなかった。 執行部の皆には会いたいが、郷自体に対する愛情はあまり、ない。 だが、帰らねばならない理由はある。 普段饒舌な八雲の短い言葉から悟ったのか、それとも心の声でも聞こえてしまったか…。 ｢…そっか。じゃあ、その写真はせいぜい大事に持ってなさいよ。｣ 天草はそれ以上何も聞いてはこなかった。 代わりに先程まで狸汁をすすっていたはずの結崎が話しかけてきた。 ｢…やくもん。｣ ｢ん？何？｣ ｢お前…本気なのか？帰るって？｣ この幼馴染は軽さだけが取り柄なのに今日は随分と深刻だ。八雲が首を傾げる。 「うん、そのつもりだけど？」 「何でだよ？お前あんな田舎がいいのか？やっぱり故郷だから？」 (故郷…か。) 結崎の言葉にどう答えたものかと八雲は少し悩んだ。 悩んでから…適当に誤魔化そうとした時、向こう側からワーっと歓声が上がった。 「と、いうわけで、これから王様ゲームを始めまーす！」 カメラ片手に伊地知が笑う。 「いつの間に！…っていうか、何が“というわけで”なんだ？」 「さ、さあ…。」 わけのわからぬ展開に八雲と結崎は話の途中だったのも忘れて顔を見合わせる。 「もしかして、面白い写真を撮りたいっていう伊地知の策略かな…。」 「あー…そうかもな。」 隅の方で話していた2人の元へ伊地知がやってくる。 「ほら、そこの2人も引いて引いて。」 割り箸で作ったらしいクジを渡され、流れに逆らえず2人は素直にそれを引いた。 「あ、3番だ。」 「俺、5番。」 「わーい！光が王様だよ！」 「……………………………。」 その一言に集まった全員が一瞬黙った。 “光が王様ではロクな命令をしない気がする。” 全員の共通認識だった。 ただ1人、スクープ狙いの伊地知だけが楽しげにカメラの準備をしている。 「ええっと、じゃあテキトーにいくね！」 「光！あんまり無茶な命令はダメだからね。」 「スクープ取れるように面白いのでひとつ！」 釘を刺す館脇と煽る伊地知に色々言われて光が “うーん”と呟きながら口元に手をあてて考え込む。 「じゃあ、じゃあ！3番が5番にキスをする！ってのでどうかな？」 次の瞬間、全員がおそるおそる自分の選んだ箸を見る。 そして番号が違う事にほっと胸を撫で下ろす中、隅にいた２人が見事に黙り込んだ。 「……。」 「……。」 八雲の持った箸の先には3番と書かれている。 そして、傍らの結崎の嘴には5番と書かれていた。 まさか自分が面白スクープのネタになるとは…。 予想外の事にさすがの八雲も顔を引きつらせた。 「おい、やくもん。お前が3番…？」 「答えたくないけど、当たってる。」 ひそひそと確認しあって2人で青ざめた。 「お！当たりはそこの２人かー？」 出来る事なら逃げたかった。 しかし、さすがはカメラマンと言うべきか。 伊地知が目ざとく2人の箸を覗き込みにきた。 「み、見るなよっ！」 慌ててて結崎が箸を後ろに隠そうとする。 (イヤ、今更バレバレだろ…。) 呆れた八雲は抵抗を諦めた。 抵抗空しく箸の番号がバレた結崎は逃亡を図った。 が、出口近くで剣持に足を引っ掛けられて見事に転んで捕まったのだ。 剣持はいつも通り表情一つ変えずにいたが、 どうやらトラウマ写真に結崎を道連れにしようとしたようだった。 「ではー！栄えある第１回王様ゲームの犠牲者は結崎と草凪〜！」 楽しげな伊地知の声に2人ががっくり肩を落としたのは言うまでもない。 「わー！2人大当たりだね。ミッチーが当たっちゃわなくて良かった。」 無責任なヤジを飛ばす光。 「ごめん…2人とも。」 その隣で館脇がすまなそうに2人に手を合わせた。 「はぁ〜…。まあ、バカ同士ちょうどいいかもね。」 呆れた天草は自分に被害が及ばない以上、関わるのをやめたようだ。 「い、嫌だあぁ！いくらなんでもファーストキスが男なんてイヤだ！ やくもん、お前もなんとか言えーー！」 半泣きで結崎が最後の抵抗を試みる。 「亮……やっぱり…嫌か？」 八雲は何故かわざとらしく悲しげに問いかけた。 「あったりまえだろーがー！絶対イヤー！」 そんな結崎の様子を見て、何やら考えていたがおもむろにニヤっと笑う。 「よーし！そんなに亮が嫌がるなら、面白そうだからやってみよー！」 「は？ちょっ！待て待て待て！早まるな、やくもん！！」 「伊地知！こんな面白いもん、シャッターチャンス逃すなよ！」 「もちろん！しっかり構えてるぞ！」 伊地知がウインクする。 すっかり2人は悪ノリしていた。 「じゃ、じゃあ、イヤじゃない！嫌じゃない！むしろ…嬉しい？…だから、落ち着け、やくもん！！」 最早結崎は支離滅裂だ。 「イヤじゃないならいいじゃーん！」 「ぎゃーー！」 部屋の隅で繰り広げられる阿鼻叫喚の世界に七瀬が慌てる。 「ね、ねえ。止めなくていいのかな？」 「いいんじゃない？確かに見世物としては面白いし。」 が、すっかり無視を決め込んだ天草は騒ぐ3人を遠くから見ているだけだった。 「亮…こういう時は目、瞑るもんだぜっ！」 抵抗する結崎の肩をがしっと掴んだ八雲が邪悪な笑みを浮かべる。 「だからイヤだってーー！」 結崎は全力で嫌がっていたが、八雲の方は別に何も考えていなかった。 伊地知がノリノリでこの場を写真に収めるだろう。 そうしたら、それも思い出の一部になる、とその程度の認識だった。 楽しくて面白い事の前には、些細な事だ。 いつの頃からか八雲は未来に夢は持っていなかった。 だから今が大切で『今』しかないのだ。
	「イーーヤーーーーー！」 結崎は全力で抵抗した。 抵抗したが、効果はなかった。 幼馴染で親友の…このちょっと変な男はかなりの怪力の持ち主であるようだった。 験力は失っているはずなのに、対天魔以外では何ら劣るところはないらしい。 それが災いした。 少なくとも結崎にとっては災いだった。 ノリノリで目を閉じたまま近づいてくる親友の顔に結崎は焦った。 見ているのは絶対嫌。 しかし、目を閉じれば自分も一緒になってノっているようにしか見えなくて嫌。 前門の虎、後門の狼。 行くも地獄、戻るも地獄。 (選択肢なんてねぇじゃんっ！！) ならせめて、ノっているようには見られたくない。 目は絶対に閉じないと覚悟した結崎は、それを結局後悔する事になった。 顔が近づいてきた時、サラサラの八雲の前髪が触れた。 日に透けると微かに蒼い、ダークブルーの髪が綺麗だった。 整った鼻筋の端正な顔立ち。 こんなに近くで親友の顔を見たことはなかった。 幼さの残るその顔に長い睫毛が影を落とす。 よくよく顔だけ見れば生半可なアイドルなんかよりも綺麗なくらいで、 結崎は思わず抵抗を忘れて息を呑んだ。 どくん、と心臓が勢いよく跳ねた。 吐息がかかるほど近づいて、焦点が合わなくなる。 「！？」 そして、八雲の唇が結崎のそれに触れた。 柔らかくて温かい。 なんとも言えない感触に結崎はついぼんやりとしてしまった。 大切で手放したくない相手だったことを思い出す。 抱きしめてもっと深く触れたいような気分になる。 が、次の瞬間カシャリ！というお馴染みのシャッター音が彼を正気に戻した。 (わぁぁ！やくもんとキスしちまったーーー！？) 「よく撮れた？」 「バッチリ！スクープだよ！」 2人のバカな会話を聞きながら、結崎はそれよりも八雲とのキスに 思い切りドキドキしてしまった自分に焦っていた。 あれほど、あれほど嫌だと思っていたのに。 (さっきのやくもん…綺麗というか色っぽいというか…って、違う違う！アイツは男で親友でー…) 「亮、大丈夫かー？」 諸悪の根源はそうとも知らずににこにこと話しかけてくる。 肩を叩かれてギクリとした。 「んな、警戒しなくたって、写真も撮れたからもう何もしないって。」 聞きようによってはその方が余程タチの悪い事を言っている。 「だ、大丈夫だ！いや、大丈夫じゃないけど。」 適当な相槌を打ちながら結崎は全然別のことを考えていた。 (鎮まれ、鎮まれよ…俺の心臓ー…。) ＢＡＣＫ　　ＮＥＸＴ