君を呼ぶ声　　2 「よーし！とりあえず上がれ！どうだ、今日のトレーニングは？」 ＢＩＴルームに相変わらずテンションの高い京羅樹教官の声が響いた。 対するＳＧコースの生徒達はぐったりとして声もない。 「……キツイ…っす。」 ふらふらと戻って来た結崎はバンダナを外して汗を拭う。 「なんだか…いつもより設定が複雑だった気がするわ･･･」 疲れた様子を人に見せたがらない天草でさえため息混じりだ。 「情けない！ワイがお前たちくらいの時にはなあ･･･。」 思わず側で見ていた御神教官が文句を言う。 そんな当たり前の放課後の風景。 不意に扉を激しく叩く音が聞こえた。 激しく、といってもＳＧコースの為の戦闘訓練部屋であるＢＩＴルームは かなりの防音措置が施されている。 内からの音が外に漏れないのはもちろん、外の音も中へは聞こえないはずだ。 だから微かでも扉を叩く音が内側へ聞こえるという事は、外では相当激しく叩いているという事になる。 「なんや？ここは関係者以外立ち入り禁止やで。」 御神教官が眉を顰める。 いくら月詠学院が自由な校風といえど、普段一般学生がここに近寄る事はない。 「ちょっと、見てくるか。」 ため息と共に京羅樹教官が立ち上がった。 防音と機密保持のために二重に設けられた扉を開ける。 と、倒れこむように七瀬が飛び込んできた。 「あれ、お前さんは……」 確か結崎や館脇と同じクラスの…と、京羅樹教官が続ける前に七瀬が叫ぶ。 「助けて！お願い！！やくもんを助けて！！」 「！？」 ＢＩＴルーム内に緊張が走った。 「何があった？」 皆一様に願った。 天魔が出た、と七瀬が言わない事を。 けれど、彼女からもたらされたのは最悪の答えだった。 「この前の…あの時と同じお化けが出て…。伊地知君が襲われて、 やくもんが逃げろって…。わたし、嫌だったけど、でも、やくもんが…」 言いたい事がうまく口をついて出ないらしく、半泣きの七瀬が必死に言葉をつなぐ。 「で、伊地知は？」 「ここに…っ」 七瀬の細腕ではここまで連れてくるのはさぞかし大変だっただろうに。 伊地知が足元に倒れていた。 肩から出血している。 意識は失っているようだが、命に別状は見られない。 「またこいつか…。」 剣持が小さく舌打ちした。 「それより、早く行かないとヤバイだろーがっ！」 いつの間にかバンダナを巻き直した結崎がＢＩＴルームを飛び出す。 「待ちなさいよ！」 「うるせえっ！待ってられるかっ！やくもんが危ないんだ！」 駆け出そうとする結崎を天草が制した。 「場所もわからずに飛び出してどうする…？」 呆れた剣持の冷静な指摘に結崎がやっと足を止める。 「七瀬！場所はっ？」 「教室の･･･廊下…曲がったところ…だと思う。」 「わかった！」 今度こそ結崎は飛び出して行った。 「待ちなさい、わたしも行く！」 「……。」 天草と剣持も後を追う。 「仕方あらへんな。ワイはちょっと連中を見てくるわ。」 「ああ、任せた。」 御神は伊地知の怪我を見ていた京羅樹に声をかけると、生徒達の後を追った。 おそらく、どこからか迷い込んだ天魔だろう。 彼らなら1人でも充分倒せるとは思うが念のためだ。 一方、誰よりも先に駆け出した結崎は気が気でなかった。 今の八雲は験力がない。 一般人と何ら変わりがないのだ。 (それなのにアイツ、またムチャしやがって･･･！) 彼は他人のために平気で自分を犠牲にする男だ。 何の恐れも迷いもなく実行してしまう。 それが結崎にとっては怖かった。 だから走った。 途中、誰かや何かにぶつかったかもしれなかったが、そんなこと気にならなかった。 ＶＲルームで散々戦い、先ほどはもう動けないと思うくらい疲れていたはずだったが、 それも忘れていた。 ただ、八雲の事だけが心配だった。 走って走って、やっと教室側の廊下に辿り着いた時、結崎は言葉を失った。 「……あ…。」 急に立ち止まった結崎に後ろから駆けて来た天草がぶつかった。 「もう！急に止まるんじゃないわよ！」 「……。」 「何？どうしたの？……ッ！？」 廊下を見た天草もまた息を呑んだ。 中央には大きな血溜まり。 壁には血飛沫が飛び散っている。 全員が同じ事を考えた。 『草凪八雲はもう天魔に殺されてしまったかもしれない。この出血量ではもう…』 「……っ」 あまりの事に思わず一歩ふらついた結崎の足が何かを踏んづけた。 金色のボタン。 月詠学院の制服にはそんなボタンは付いていない。 これは天照館高校学ランの―――――………。 気が、遠くなった。
	「ちわーっす！」 結崎はなんとなくそんな声をかけて部屋に入った。 こうしてここにくるもの、なんだか当たり前のような気がしてくる。 皆を守るために無理に力を使った八雲が意識を失ってから既に一ヶ月近く… 結崎は毎日病院へ通っていた。 放課後の、しかも面会時間終了間際を狙い、誰も居ない事を確認してから病室に入る。 我ながら変だとは思うが、皆に見つかると普段平気な振りをしている分、どうにもバツが悪い。 「やくもん…まだ、寝てるのか？」 広い個室に一人、八雲は横たわっていた。 どこが悪いのかわからない。 体の傷は既に癒えているはずなのに、彼は目を覚まさなかった。 だから本当に、眠っているようにしか見えないのだ。 「早く起きろよ…なあ…」 結崎は部屋に用意されたパイプ椅子に腰掛け、すやすやと眠る八雲に話しかけた。 暮れ掛けた夕日が病室に柔らかく差し込んでくる。 そうして結崎は、その夕日が沈むまでずっと…毎日八雲の側にただいるのだ。 その時、後ろで小さな音がしてドアが開いた。 「あら…？」 入ってきたのは看護士の一人だった。 「ども…っす。」 結崎は少し腰を浮かせて立ち上がり、会釈した。 「ふふ…。本当に仲がいいのね。君、毎日来てるもの。」 「いや…あの、まあ…。」 なんと言っていいかわからず、結崎は適当にもごもご呟いた。 「あの…、コイツ…どこが悪いんでしょうか…？」 「そう、ね。怪我はもう大体治っていると思うわ。 何かの爆発に巻き込まれたって話だったから…ショックで多分…。 でも、きっと目を覚ますから。ずっとお見舞い来てあげてね。」 「はい、そりゃ、モチロン！」 「ね…ところで、彼、ご家族はお見舞いに来ないのかしら？」 「え……？」 ごくごく普通の会話だ。 だが、結崎は答えに窮した。 いない。 八雲に家族はない。 その事を今初めて重く感じた。 「その…ちょっと色々…。」 「あら…ごめんなさい。じゃ、ゆっくりしていっていね。」 言葉に詰まった結崎を見て、触れてはいけない事を聞いてしまったと気付いた看護士は 慌てて部屋を去って行った。 締まる扉を見つめながら結崎はなんとも言えない苦々しい気持ちを噛締めた。 天照郷出身の結崎にとって、苗子は当たり前の存在だった。 全国から引き取られてきた孤児…苗子。 八雲はそのうちの1人だった。 天照郷では一般的に知られている制度だったし、 大人たちも普通に話していたから何の違和感も感じずに今まできた。 苗子は別段普通と変わらないと思っていた。 むしろ、八雲の世話をしていたタカさんと言う人の大らかさと面倒見の良さを知るにつけ、 羨ましいと思っていたほどだ。 だが、今ここにタカさんはいない。 確かにあの人は八雲の育ての親だった。 本当の子供のように、もしくはそれ以上に八雲を可愛がっていたと思う。 でも、ここにタカさんは来ない。 多数の苗子を抱える彼女にとって、八雲はその1人でしかなく… どれほど心配であっても彼1人のために他の子を放り出して駆けつけることは出来ない。 それが苗子の現実であり、家族が居ない…という事だった。 どれほど文句を言っても、結崎の両親は結崎が怪我をして入院したとなれば駆けつけるだろう。 他の全てを放り出してでも。 あの厳しい父だって来るに違いなかった。 なのに…。 結崎は酷く後悔した。 かつて八雲に羨ましい、等と言ってしまった事を。 (何であんな事、言っちまったんだろう…っ) 確かに、結崎の父親は厳しい人だった。 験力を目覚めさせるための特訓は過酷を極め、父親を憎むほどだった。 友達と遊ぶ時間も削られ、おかげでどれだけ友人を失ったことか。 天照から出てきた者の意地としてそうしているのだと結崎はずっと思ってきた。 だが、実際はそれだけではないようだった。 幼い頃から、験力こそ発験しないものの、結崎には時折人ならぬものを見る力があった。 そのせいで潜在能力があると認められ、訓練が厳しさを増したと思っていた。 理由がそれだけでは無い事に気付いたのは最近のことだった。 見えるだけ、というのは一番危ないのだ。 見えるが、対抗する術はない。 見えて、近づいても、喰われるだけ。 幼い子供では何も知らず不用意に天魔へ近づくこともあろう。 その時、自分の身さえ守れないようでは早死にする。 そう思った親が多少の無理をしてでも、験力の目覚めを急いだのは無理からぬことだった。 ただ、幼い結崎には理解できなかった。 父親は見栄や虚勢のために自分を鍛えようとしているのだと考えていた。 あの厳しい訓練の全てが、自分を想う親の愛だなどと…気付かなかった。 どれだけ自分が愛情を注がれて育ってきたのか…知らなかった。 知らないが故に、あんな事を八雲に言ってしまった。 『羨ましい。』 その言葉は彼の心を傷つけただろうか。 わからない。 八雲はいつも笑っていたから。 あの笑顔の下で彼が何を思っていたか… 親友だなどと豪語しておきながら結崎は何も知らなかった。 それが悔しく、同時に悲しかった。 目を覚まして欲しいと思った。 いつも飄々とした涼しい顔でバカばかり言っていた友に、ただ会いたかった。 「やくもん…。」 結崎はまたイスに腰掛けて、眠る八雲の布団の中に手を入れた。 いつ頃からか…来るたびにそうしている。 八雲の足は冷え切ってむくんでいた。 ずっと寝ているせいか、病状が思わしくないのか…。 どちらにせよ放ってはおけず、結崎はその足先を撫でて揉んだ。 少しでもいい。 血の巡りが良くなって冷えやむくみが取れたらいいと、 そう思って毎日帰るまで足を揉むことにしているのだ。 そういえば今日はこころなしか呼吸が少し浅い気がする。 大丈夫だろうか、と心配になった。 帰りにナースステーションで少し聞いてみよう。 結崎がせっせと八雲の足を揉んでいると、再び後ろのドアが開いて先ほどの看護士が入ってきた。 「あ、あの…」 手は止めずに、結崎は看護士に話しかける。 「こいつ、なんか呼吸が浅い気がするんですけど…大丈夫、ですよね？」 「……。」 一瞬、看護士は俯いて目を逸らした。 ゆっくりと息を吐く。 「彼、ご家族は来られないのよね…？」 確認の意味でもう一度聞く、といった風だった。 そのどこか躊躇い混じりの言い方に嫌なものを感じる。 いい話が聞ける気がしない。 「…はい。」 結崎が頷くとやっとに彼女は口を開いた。 「そう…。あまりよくないのよ、最近。ずっと寝ているせいで体が大分弱ってるの。 自分で物を食べない、体を動かさない、って体力削られるから。 …本当はご家族に伝えたかったんだけど…今晩が峠かもしれないって。」 「え…そんな…っ！」 予想していたより尚悪い答えに、嘘だと叫びたかったが、声にならなかった。 「もし、付き添うつもりなら…今晩はずっと居ても構わないから。 じゃあ、何かあったらナースコールで呼んでね。」 看護士はそう言うとまた部屋を出て行った。 「嘘だろ…やくもん…。」 もう一度、眠る友の顔を見る。 穏やかな横顔。 二度と彼が目を覚ますことはないのだろうか？ 謝ることも、共に遊ぶことも二度と叶わないのだろうか？ あれほど、1人で行くなと言ったのに。 失うという実感が初めてあった。 白面に襲われた時、初めて己の死を感じた。 怖かった。 夕が結界を突破するのに無茶をした時、彼女の死を思った。 嫌だと思った。 でも、今もっと切実に友の死に直面してどうしていいかわからなかった。 嫌だとか怖いとか…そんな一言では表せない。 動揺して頭が真っ白になる。 失くしたくない。 またあの笑顔が見たい。 一緒にバカやって、皆に笑われたり怒られたり。 ボンクラ三人組、なんて言われたり。 そんな日々を取り戻したかった。 「行かないでくれ…頼むから…。」 呟く声と共に熱いものが頬を伝う。 自分が泣いていることに結崎は初めて気付いた。 止めどなく涙が零れ落ちる。 自分の死や夕の死を感じた時ですら、泣いたりなんかはしなかったのに。 思わず握った八雲の指先は冷え切っていた。 急速に失われる温もりに、自分は何もすることが出来ない。 それが悔しかった。 「他に何もいらないから。頼むから…帰ってきてくれ…八雲…っ！」 祈っているのか、叫んでいるのか、泣いているのか…自分でもよくわからない。 ただこの時、どれほど自分にとって彼が大切な相手であるか…結崎は気付かされたのだった 「ちょっと！いつまでぼーっとしてるつもり？」 ｢早くしないと見つけたときにはあいつが人の形を保っていなくなるぞ。｣ ｢…っ！？｣ 二人からそう言われてやっと結崎は我に返った。 そうだ、今は呆然としている場合ではない。 まだ彼が死んだとは限らないのだ。 泣くのも叫ぶのもそれからでいい。 ｢ああ！急いでやくもんを見つけるぞ！｣ 何か重いものを引きずったようにかすれて続く血の跡を追って結崎は再び駆け出した。 ＩＮＤＥＸ　　ＢＡＣＫ　　　ＮＥＸＴ