| 君を呼ぶ声 1 |
いいか？俺がカリキュラム終わるまで待ってろよ！」
夕日が差し込む教室の出口で結崎亮がびしっと人差し指を突きつける。
「寮まで近いし、そんなに天魔なんかしょっちゅう出るもんでもないと思うけど？」
言われた当の草凪八雲は机に肘をついたまま面倒くさそうに振り返った。
「そういう問題じゃない！今のやくもんは全然戦えないんだから何かあったらどうしようもないだろ！」
「うーん･･･」
街中で天魔に会う確率なんて、宝くじの1億円と同じくらいない気もするのだが
結崎に譲る気は全くなさそうだった。
「ほら、亮。もう行かないと。」
いつまでも教室に張り付いていそうな結崎をミッチーこと館脇が急かす。
このままでは本気でカリキュラムに遅刻しそうだ。
しかも、ミッチーを巻き込んで。
それはいくらなんでもあんまりだと観念した八雲はひらひらとやる気なさそうに手を振った。
「わかったわかった、待ってるから。とっとと訓練やってこいって。」
その反応に納得したのかしないのか、とにかく結崎はずるずるとミッチーに引きずられて去って行った。
ここしばらく繰り返されているお馴染みの騒動に思わずため息がこぼれる。
放課後にＳＧコースのカリキュラムが組まれる度に同じ事をやっている気がする。
八雲自身としては通学路を一人で歩くくらい、どうってことはないと思っているのだが周りが許さないのだ。
天魔に狙われるといけない、という理由からＳＧコースの誰か一人が
常にボディガードよろしくついてくる。
教官達の提案によって決まった事だったが、男連中ならまだしも
理緒や光にボディガードされるのはやや情けない気もした。
だがそれは杞憂に終わり、何故か毎日ついてくるのは結崎だった。
教官や皆に掛け合って、八雲のボディガードを一人で引き受けたというところらしい。
何故かあの戦いが終わってから結崎はすっかり過保護になっていた。
夕が結崎のために無茶をしたあの一件の時も急に「愛だ！」なんて叫んでいたくらいだから、
今回も何か間違った思い込みで結崎の中では「やくもんは俺が守る！」
という事に決まったのかもしれない。
ちょっとバカバカしい。
実際、今の結崎はあれだけ熱中していた夕をほったらかして八雲一筋だ。
単に熱しやすくて冷めやすい性格なだけに違いない。
もう一度ため息。
「どうしたの、やくもん？」
いつからいたのか、目の前に七瀬が立っていた。
差し込む鮮やかな夕日に照らされた七瀬は綺麗だった。
「七瀬って綺麗だな。」
「もう、やくもってば！相変わらずなんだから･･･。本気にしちゃうぞ？」
照れ隠しのように笑う七瀬はやっぱり綺麗だった。
顔が赤いのが自分のセリフのせいか、夕焼けのせいかはわからなかったが。
本気にしてくれてもいっこうに構わないのに、冗談とだけとられたらしい。
これでも八雲はいつでも全力で皆に愛を囁いているのだが、どうにも成果がない。
「皆がＳＧコース終わるまで待ってるの？」
「そ。本当なら誰か1人カリキュラム行かないで送るはずなんだけど、
亮のヤツがごねたらしくてさ。カリキュラムある度に待たされてるんだよ。」
「結崎くん、なんか変わったもんね。･･･気持ちは、わかる気もするけど。」
「？」
｢よ。お二人さん。一枚撮ってやろっか？｣
ひょっこり伊地知が現れた。
相変わらず神出鬼没だ。
｢あ、伊地知くん…。えっと、どうしようかな。｣
｢･･････。｣
七瀬とのツーショット写真が貰えるならお願いしたいところだが、
伊地知の場合それをエサに七瀬の変な写真を撮ろうと企んでいるだけではないか。
疑いの眼差しを向けると、その意味に気付いた彼がぶんぶんと首を振る。
｢しないって。今日はしない。無事帰ってきた草凪にいい写真撮ってやろうとしてるだけだよ。｣
一応本気らしいが、それはそれでつまらない。
八雲は立ち上がり、伊地知の耳元で七瀬に聞こえないようにそっと囁いた。
｢両方撮れ。普通のと･･･お前の本能に従ったのと。｣
｢へ？｣
｢あとでくれよな、写真。｣
八雲がにっこり微笑むと伊地知もすぐに調子を取り戻して頷いた。
｢あ、ああ！もちろんさ！｣
｢七瀬、せっかくだから撮ってもらおうよ。｣
｢うん、そうだね･･･って、そんなトコに手回さない！｣
腰に回した手をぴしゃりと叩かれ、八雲は苦笑した。
伊地知がそんな二人をファインダー越しに覗き込む。
カシャッ！
シャッターの下りる音に二人が慌てた。
｢え？撮ったの？｣
｢あ！伊地知、テメっ･･･。どういう場面撮ってるんだよ！｣
｢いやぁ、俺が狙ってるのはいつでもスクープ写真だからさ。｣
｢･･･いい写真、撮るっつったろーが！｣
｢わかった、わかった。もう１枚撮るから。ほら！｣
八雲に詰め寄られた伊地知が慌ててカメラを構える。
反射的にカメラ目線で微笑む八雲と七瀬。
一眼レフカメラ独特のシャッター音が心地よく教室内に響いた。
二人は今度こそちゃんと写真を撮ってもらった。
と、七瀬は思っていた。
実際は伊地知のカメラのピントは七瀬の胸元に合っていたのだが、
八雲は気付かない振りをしておいた。
バレたら後が怖い。
｢じゃあな！写真はまた･･･いつもの所で渡すから。｣
最後に少しいたずらっぽく笑って、伊地知は夕日の差し込む廊下を駆けていった。
｢綺麗に撮れてるといいね。｣
何も知らず無邪気に笑いかけてくる七瀬に若干の罪悪感を覚えながら八雲は相槌を打っておいた。
｢そうだなー。｣
騒がしい男が去って、また教室内に静けさが戻った。
遠くからはクラブ活動中の学生達の声が風に乗って聞こえてくる。
平和で当たり前の日常。
側には気心の知れた友人。
そんな何気ない時間を八雲は心地よく感じていた。
だが、次の瞬間静寂が破られる。
｢うわあぁぁぁぁ！｣
そう遠くない距離から聞こえてきた悲鳴。
｢な･･･何っ？｣
怯えたように七瀬が一歩後ろに下がる。
｢!? あれ･･･伊地知の声だっ！｣
言うが早いか八雲は教室を飛び出した。
滑って階段から落ちた、などという暢気なオチを期待する。
それだとて打ち所が悪ければ大変だが、あの伊地知なら大丈夫だろう。
後ろから慌てて七瀬が慌てて追いかけてきていたが、気遣う余裕はない。
廊下の端まで走ってきゅっと音がしそうな勢いで角を曲がった時、八雲は言葉を失った。
｢…！？｣
そこにいたのは異形の者…天魔だった。
人と似て異なる者。
美しい少女の姿をしているが、その指先には長く鋭利な爪が伸びていた。
倒れた伊地知の肩に爪が食い込み、鮮血が床に散っている。
｢う…ううっ…。｣
伊地知が微かな呻き声をあげた。
死んでない。良かった、と八雲は思ったが今の自分にコレを倒す力がない以上、
なにも事態は好転していないのだ。
｢やくもん、どうし……きゃっ！｣
追いついてきた七瀬が八雲の肩越しに惨状を見て悲鳴をあげる。
その声に触発されたのか、天魔がゆっくりと首をもたげこちらを振り返った。
冷たく澄んだ瞳は、人間を単なる獲物としか見ていないようだ。
狙いが七瀬に切り替わる。
直感的にそれを感じた八雲が彼女を抱きしめて後ろへ飛ぶのと、
天魔が飛び掛ってくるのとほぼ同時だった。
上手くかわしたはず…。
だが、僅かのリーチの差で天魔の長い爪が八雲の胸を掠め、学ランのボタンが宙に舞う。
｢…ちっ…！｣
どう考えても分が悪い。
腕の中でガクガク震える七瀬と、対峙する天魔の向こうで倒れている伊地知…
両方守るだけの力がない。
今避けたのですらギリギリだった。
それでも、守ってみせる。
｢七瀬、大丈夫だから。｣
｢やくもん…でも、やくもんももう戦えないんでしょ？｣
八雲が例の一件で験力を失ったことは彼女も知っている。
｢でも、俺は戦い慣れてるし、体も鍛えてあるから結構丈夫だよ。｣
諭すようにゆっくり言うが七瀬は怯えるばかりだ。
｢やだ…。やくもん何考えてるの？逃げようよ。｣
｢今、俺達二人で逃げたら伊地知が殺される。｣
｢でも…。｣
ふるふると七瀬が小さく首を振る。
｢大丈夫。俺の言うとおりにすれば皆助かるから。｣
安心させるため、出来るだけ穏やかに優しく八雲はそう言った。
もちろん、その間も鋭い視線は天魔に向けたままで。
｢……わかった。やくもんのこと、信じる。｣
ややあってから意を決したように七瀬が八雲を見上げて呟いた。
｢ありがとう。じゃあ、俺が行けって言ったら伊地知を連れて逃げて。
それでSGコースの連中を呼んでくるんだ。誰か一人でもいい。
来てくれたらこいつなんかすぐ倒せる。俺はそれまでここで時間稼いどく。絶対大丈夫だから。｣
一気にまくし立てるように言ったのはそろそろ痺れを切らした天魔が飛び掛ってきそうだったからだ。
八雲は心の中で５，４，３，２、１と数えた。
｢今だ！行けっ！｣
天魔が床を蹴って宙に舞う瞬間、八雲は叫んだ。
七瀬が駆け出す。
目標が分かれた事で八雲に向かってきていた天魔の動きが一瞬止まった。
その隙を突いて八雲は天魔に思い切り蹴りを入れる。
｢てぇいっ！｣
がすっといい音がして八雲の足が天魔の腹にヒットする。
効かない事は覚悟の上だ。
注意が逸らせればそれでいい。
予想通り、七瀬を追っていた天魔の視線が八雲に戻る。
その目は怒りに燃えていた。
攻撃としては意味がなかったろうが、それでも人間ごときに一撃くらった事が
知能を有する天魔には屈辱だったのだろうか。
一度避けられただけでなく、二度までも、と。
とにかく目標を八雲に定めた天魔が向かってきた。
鋭い爪、肉食獣のような尖った歯、掴まったら長くはもつまい。
八雲は右へ左へと繰り出される攻撃をすんでの所でかわした。
験力がない以上、時間稼ぎがせいぜいだ。
そう、皆が来るまで持ちこたえればそれでいい。
攻撃を必死で避け続ける八雲は、天魔の肩越に伊地知を抱えた七瀬がどうにか歩き出す姿を見た。
良かった。
それはほんの一瞬の気の緩み。
そして、戦いの中では命取り。
辛うじて攻撃をかわしていた八雲の動きが僅かに鈍った。
｢……っ！？｣
次の瞬間、天魔の長い爪が深々と八雲の肩に食い込んだ。
目の前が真っ赤に染まる。
皮膚が破け、血飛沫が眼前に広がったせいだ。
焼けるような激しい痛みに声を上げそうになるが、そんなことをすれば七瀬が振り向いてしまう。
振り向いて、そこに血を流す八雲がいたら彼女は悲鳴を上げるか立ちすくむか。
どちらにせよ、全員無事では済まなくなる。
｢…ぐ…ぅ…っ…。｣
だから八雲は耐えた。
反対側の肩に天魔の爪が刺さっても。
歯を食いしばって痛みをこらえた。
八雲と天魔、整った顔立ちの少年と冷たくも美しい少女が抱き合っている。
放課後の廊下、傍から見たらまるで恋人同士の逢瀬のようだ。
実際は、両肩から血を流した少年が苦悶の表情を浮かべ、対峙する少女は薄く微笑んでいる。
捕らえた獲物を弄る猫の様に目を細めて。
八雲は少し覚悟をした。
掴まってしまった。
弄り殺しにされるのが早いか、皆が来てくれるのが早いか。
どちらでもいい。
他の誰をも犠牲にせずに済めばそれでいい。
不意に何故か八雲は結崎の事を思い出した。
自分が死んだら彼は泣くだろうか。
(きっと泣くよな。…泣いてくれたら…いいな。)
足元に広がる血溜まりを見ながら八雲はそんなことを考えていた。
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