| 江積×結奈ＳＳ 1 |
ドアを開ける瞬間、その瞬間がいつも一番緊張する。
心の中で呟く言葉は“ごめんください”
でも、そう言うと絶対香澄とおばさんが悲しい顔をするからそれはダメ。
「た、ただいま〜」
おそるおそるドアを開ける。
ホント、いつまで経っても慣れないな。
「あら、おかえりなさい。今日は香澄と一緒じゃないの？」
私の姿を見つけたおばさんがにこやかな笑みを浮かべて振り返った。
この人は私のお母さん･･･らしい。
そう言われたのは私が高校に入った後の事だった。
急に言われても馴染める筈もなく、一緒に住むようになった今も
私にとってこの人は「親友、香澄のお母さん」のままだ。
「はい、私ちょっと寄る所があったので。･･･えっと、じゃあ着替えてきます。
夕飯とか手伝うことあったら呼んで下さい。」
それだけ言って私は自分の部屋へと急いだ。
私の他人行儀な物言いに、おばさんが悲しそうな顔をした気がしたけれどどうしようもない。
「さて、と。」
部屋に戻って着替えるとなんだかほっとした。
前に住んでた部屋よりずっと広いから最初は落ち着かなかったけど、
今は私の場所って感じがする。
そういえば、ナポリタンが見当たらないけど、台所で美味しい物でもくれってねだってるのかな？
元々香澄に懐いてたナポリタンは私なんかよりずっと早く今の生活に溶け込んでるみたいだ。
私は机に向かうと、帰宅途中に買ってきた雑誌を取り出した。
寄り道に付き合うと言ってくれた香澄を断ってまで買ってきた本は、受験雑誌だった。
私は高校１年生。
受験なんてまだまだ先の話、だけど。
高校を卒業したらこの家を出て行くつもりでいるんだ。
香澄は今だって一番大切な親友だし、おばさんたちは私のことを大切にしてくれる。
でも、今の暮らしは少し息苦しかった。
おばさんをお母さんと呼ぶことは、やっぱり出来そうもない。
だけど、呼ばないと悲しい顔をされる。
だったら一人でどこか遠い大学に入って、一からやり直し！って、そう思ったわけ。
本当は封印の出来る灯如尼はここにいなきゃいけないのかもしれないけど、
犬士さえ揃わなければ大丈夫なんだし私がいなくてもきっと平気。
強くなるように、一人でも平気なようにお祖母ちゃんは私を育ててくれた。
剣道もそのために始めたようなものだ。
だから大丈夫。
雑誌をぱらぱらと見ただけでも、奨学金制度のある学校がいくつか見つかった。
働くようになったら返さなきゃいけないみたいだけど、それで十分。
「こことここと･･･あそこもいいなぁ。」
いくつか目ぼしい所に丸をつけて私は久しぶりに楽しい気分になった。
あと気になるのは･･･あの人の事だけ。
「よし！明日、聞いてみようっと。」
翌朝。
私は少し慌しい廊下の片隅で先輩をつかまえた。
「はぁ？進路？」
「はい、江積先輩、もう決めてますか？」
私の質問に先輩は素っ頓狂な声を上げた。
「まあ･･･全然決めてねぇわけじゃないけど。」
それってほとんど決めてないって事かな、もしかして。
「やっぱり進学ですか？」
「一応な。近くの大学にしようと思ってるけどよ。」
「･･･え？」
その返答に私は落胆した。
近くか、近くじゃ奨学金のある大学なかったよね･･･。
出来れば先輩の行く大学の近くだといいなと思ってたんだけど。
「どうして近くの大学なんですか？何かやりたい学科があるとか？」
「どうしてって･･･。いや、そんな特にやりたいのがあるとかじゃねぇけどよ･･･。」
「じゃ、なんで？」
「だって･･･ほら、遠く行っちまったら、お前が卒業するまで、
その･･････ああもうっ、何でもねーよっ！」
珍しく歯切れの悪い先輩に重ねて聞くと、今度は見事に真っ赤になった。
「？」
何言いかけたのかな？
「大体、お前こそ何で今からそんなこと気にしてるんだよ？」
「え？あ、そうですね。」
まだ１年生。
進学校でもないここで、高校受験を終えたばっかりの私が
今から進路を気にしまくってるのは確かにちょっとおかしいかもしれない。
「私、卒業したら･･･」
言いかけた所で始業を知らせるチャイムが鳴った。
「じゃあ、先輩！またあとで。」
「ちょっと、おい！」
呼び止める先輩の声にちょっと後ろ髪を引かれたけど、遅刻するわけにもいかない。
私はそのまま教室へと急いだ。
それでも遅刻スレスレに教室へ飛び込む羽目になって、
香澄から「時間忘れるほど仲良いんだね。」と笑われたのだった。
そしてそのまま一日、何事もなく平穏無事に過ぎていった。
香澄や浜崎さん達と一緒にお昼を食べて、また午後の授業を受けて･･･。
考えてみればこれが当たり前なんだよね。
五ヶ月前のアレが異様だっただけで。
放課後、剣道部に行くからと言って私は香澄と別れた。
「さぁーて、今日も頑張るぞー！」
あの事件のおかげでしばらく部活に出られなかったけど、
実戦に勝る練習はないのか腕の方では全く出遅れなくて済んでいた。
１年生の中には高校から剣道を始めた子も結構いたし、そんな訳で私の稽古の相手は専ら先輩方。
やる気も出るってもの。
けれどその日、体育館で先輩達と稽古をしていた私の目にふとある人の姿が止まった。
風通しの為に開けられた窓の向こう側、江積先輩と香澄が楽しそうに話しながら歩いていた。
別に気にするほどの光景じゃない、はず。
だけど思い出してしまった。
私が伏姫じゃないとわかったとき、クラスで流れていた噂を。
江積先輩と香澄がすごく仲良さそうにしてたって。
当時あの言葉は私の心を抉ったけど、その後先輩は私を大切に思うって言ってくれたんだし･･･。
一瞬、もやもやとする思考に流されて手元が疎かになっていた。
「面っ！」
え？
威勢のいい掛け声と、きゅっと床を踏みしめる足音。
思い切り振り下ろされた竹刀が眼前に迫ってくる。
しまった！今、稽古中･･･っ！
焦った私は上手く動きが取れなくて足を滑らせた。
そのまま後ろへのけぞるように倒れこむ。
続いて後頭部に激しい衝撃があった。
体育館の照明がやけに眩しく見えたのを最後に、私の意識は沈んでいった。
| ＢＡＣＫ ＮＥＸＴ |