| 君のとなり 直人Ｖｅｒ |
時計の針がもうすぐ午後11時だと知らせてくる。
門限が近いせいか寮の廊下はやけに静かだ。
鍵を回す金属音だけがかちゃかちゃとやけに大きく響く。
なるべく音を立てたくないのに。
カチリと錠の開く音がして、俺は静かにノブを回した。
ここはしんちゃんの部屋だ。
しょっちゅう行き来しているうちに面倒になったらしくて、少し前にあいつがカギを投げてよこした。
「合鍵作ったんだ。俺、バイトでいない時も多いし。何か用があったら勝手に入ってて。」
そのあまりに唐突な出来事に俺はしばしぽかんとしてしまった。
嬉しいよ。嬉しいけど…え？何？合鍵渡すって意味わかってる？って喉まで出かかってやめた。
聞いても無駄なのは先刻承知の上だ。
しんちゃんが俺に抱いている感情が…せいぜい手のかかる弟とかその辺だって事くらいはちゃんとわかってる。
いつまでたっても報われないなとため息一つ、俺は部屋の中を覗き込んだ。
真っ暗な室内で規則正しい寝息だけが聞こえてくる。
よしよし、ちゃんと休んでるな。
すり足で中に入ると、後ろ手でゆっくりドアを閉めた。
このところ何か無理をしてるな、と思っていたら朝から倒れるんだから心配したぜ。
本当にしんちゃんは無駄に一生懸命で、ちょっと要領が悪い。
高校の頃からたまに根を詰めては倒れてたから、これは最早性分なのかもしれないけど。
もっと俺を頼ればいいのに。
お前が思うより、俺って有能だぜ？
心の中で呟いてそっとしんちゃんの額に手を伸ばす。
薄暗い室内で顔色までは見えないけど、熱も無いみたいだから、本当にただの過労ってところだろう。
少し硬いくせのある髪をそのまま撫で上げた。
普段前髪で隠れている形のいい眉があらわになる。
しかしつくづくしんちゃんは俺に何一つ求めてこないというか、望んでこないというか。
今まで付き合った連中…女は例外なく俺に何かしらの見返りを求めてきたのに。
見た目のいい彼氏を連れているっていう自分のステータスとしてとか、いい男からちやほやされたいっていう願望とか、もっと単純に一時の快楽を求める対象として、とか。
最も俺だってそれ相応に発散させて貰ってたからおあいこだろって思ってた。
無償の愛とか自分だけが尽くすとか意味がわからない。
なのに、こいつは俺に何も求めない。
与えるだけ与えて、俺が何か返したいと思ってもその隙すらめったに見せない。
今日の事はかなりレアな方だ。
いつになく無防備な姿に、何となく離れがたくてしんちゃんの髪にただ何となく触れていた。
やたら静かなせいか、暗い室内で目からの情報がほぼ入らないせいか、とりとめのない思考が意識の中を行ったり来たりする。
ここに来てもう3年。
そうだな。最初は単純に嬉しかったっけ。
甘やかされてるって気付いた後は、無意識に我が侭を言ったりしたりした。
その度に少し困ったみたいに笑って受け止めてくれる。
愛されてるなあ、ってひたすら気分が良かった。
そういえば、もう一人いたな、俺を甘やかしてくる奴。
年の離れた兄貴の顔が一瞬脳裏に浮かぶ。
いつも俺を見るどこか気遣わしげな視線を鬱陶しいとすら感じていたけど、それが多分、世の中で愛情と言われるものの一種だと気付いたのはつい最近の事だった。
しんちゃんが俺を見る時の目に似てるような気がして。
それからこの人も俺に見返りなんか求めて来なかったなって思った。
気付いてしまえば反発してる方がガキっぽくて色々馬鹿馬鹿しくなった。
大人ぶって俺も成長したんだぜ、なんて豪語していた割に意外と周りが見えてなかった自分が情けなかったりとかもした。
兄貴に関してはあくまで自分の手に足る範囲で気にかけてくれてた程度だからいいとして、しんちゃんは明らかに許容範囲超えてまで俺を受けとめようとしてたよな。
本当にお人よしなんだから。
苦笑して、額を撫でていた手をそのまま頬に下ろした。
よっぽど深く眠っているのか起きる気配は無い。
ああ、もう、今日のバイト代替わりにキスでもしちゃおうか。
俺はしんちゃんと違って見返りはきっちりもらうタチだぜ？なんて。
本当は俺もしんちゃんに何か返したい。
感謝なんて薄っぺらい言葉で済まないくらいに。
でも、面と向かってそう言っても笑われるだけな気がする。
笑って「お前が幸せになればそれでいいよ」なんて殺し文句を自覚なしに言いそうだ。
多分最初から、あいつが俺の手を握ってくれたその日から…言動の全てがそう物語っていた。
だから、俺は幸せにならなきゃいけないし、この想いは冗談に紛れさせておかなきゃいけない。
ふと、そこで今日のバイトの事を思い出した。
ちょっと難航したけど、しんちゃんの代わりの人員と言う事で受け入れられた。
仕事はそこまで難しいものじゃなかったし、しんちゃんが普段働いている場所を見れるってのはなかなか面白かった。
倒れたって聞いた時のバイト仲間の反応が、ほぼ満場一致の「やっぱり」だった事とか。
どれだけ普段から無茶してるんだよって呆れたくなったけど。
あとは、女達が俺の顔をみて妙にそわそわしてたこととか。
そういえば、一人だけ凄い勢いで話しかけてきた子がいたな。
ちょっと可愛い女だった。
やたらしんちゃんの体調を心配してて、朝からメールの返事がなかったから気にはしてたんだとか何とか。
メールのやり取りするような仲だったわけか。
その子の口ぶりからしんちゃんへの好意がだだ漏れだった。
少し羨ましくて少し腹が立った。
この子がしんちゃんに好きだと告げたら、その意味は正しく伝わるんだろうな。
あなたが好きです。あなたが欲しいです。
心配してたとか好きだとか…俺が言っても伝わらない。
あくまで友情の一環。それか冗談。
胸が痛んで思わず可能な限り最上の笑顔で彼女の恋心をぽっきりへし折ってやった。
直後にまずかったかな、と少し後悔したけど、その程度で折れるような想いなら知った事じゃない。
俺はこの場所を今はまだ譲るつもりは無いんだから。
きっとこうして一緒にいられるのはあと1年と少し。
卒業後も一緒にいたいと一言告げればあいつは、やれやれと笑ってそれを許してくれるだろう。
だけど、俺だってそこまで馬鹿じゃない。ここらが潮時。
好きなら・・・いや、好きだからこそ、だ。
そんな風に思えるようになったって事は・・・やっぱり俺も少しは成長したかな。
ただし、それまでの間しんちゃんの隣は俺の指定席だ。
少し考えてからキスは額にしておいた。
親愛の印と言う事で軽く触れるだけ。
それからもう一か所。
首のやや後ろ側を軽く吸って小さな赤い印をつけておいた。
前から鏡を見てもそうそう気付かないだろうけど、虫よけにはこれで十分。
さっきの子に「しんちゃんならつきっきりで恋人が看病してるぜ。体調不良にかこつけて熱い夜を過ごしてると思うよ。」と無駄に話を盛っておいたからこれを見たらいいように誤解してくれるだろう。
俺はもう1度しんちゃんの首筋の痕を確認して一人ほくそ笑んだ。
バイト帰りに直行でこの部屋来ちゃったから荷物置いて出直すかな。
そう、今はまだここは俺だけの場所。
この閉じた世界に二人だけ。
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