| I want you to listen to you |
夏休み。
じりじりと刺すような日差しと耳に痛いほどの蝉の声を聞きながらそれが甘美な響きを持っていたのは高校生まで。
大学も３年を迎えた俺にとっては長期休みなんて長期のバイト＆課題の片づけ期間でしかない。
もうすぐ始まる就活。
リクルートスーツに靴に鞄、更に移動の電車賃と恐ろしいほどに物入りだ。
授業は減るにしても卒論等も考慮すると稼ぐのは今しかない！
つまり夏休みは休みじゃない。
遊ぶなんて言語道断！
そう気合を入れてスケジュールと睨めっこしていた俺の背後から暢気な声が聞こえてきた。
「よう、しんちゃん。来週暇？」
「いや、来週は目一杯バイト詰まってるけど。月曜から土曜の夕方まで。」
「ちぇ、残念。せっかく兄貴と美紗緒さんが海に行こうって誘ってくれたのに。」
そんなに残念そうでもない調子で直人がぼやく。
「え？珍しいな。」
俺と直人は進学にあたり地元を離れた。
その距離たるや結構なもんで、ほいほい海に行こうなんて言えるようなものでもないはずだ。
「だろ？何なんだろうな。」
直人は軽く腕組みして首をかしげていたが、まあいいかと小さく呟いた。
「仕方ない。他の奴誘うかー。」
誘う相手、いるんだ！？
一瞬イスから転げ落ちそうになる。
少なからず衝撃を受ける俺には気付かず直人は誰にしようかななどと言いながら部屋を出て行った。
直人と言えば友達がいないってイメージだったのに、びっくりだ。
はあ、と思わず感嘆のため息が漏れる。
この数カ月これといった変化はなかったはずだ。
悪い噂は聞かなくなったような気がするけれど、行く先々で女の子をひっかけているのは残念ながら変わっていないし。
夜は伝書鳩の如く俺の部屋に戻ってくるから前ほど遊んでないのは確かだけど。
しかし海とはいい気なもんだな。
俺はといえば相変わらずの貧乏学生だってのに。
親父曰くそんなに固い決意なら最後まで自力でやりぬいてみせろ、と。
自分で選んだとはいえ理不尽だよなあ。
手帳を開いたままの机に力なくつっぷした時、携帯から軽快なメロディが流れ出した。
「ん？誰だろ？」
ディスプレイには見覚えのない番号。
「………。」
しばらく待っても鳴りやむ気配のないそれに根負けして着信ボタンを押す。
「もしもし？」
携帯の向こうからどこか聞き覚えのある声。
直人…？
じゃないのは確かだけどちょっと似てるような？
「もしもし、三好です。雄一郎だけど…覚えてるかな？」
「ああ！お久しぶりです！」
そりゃ似てるわけだ。
電話の主は三好雄一郎…直人のお兄さんだった。
「急に悪いね。今、直人から連絡があって…」
一瞬気まずそうに言葉を区切る。
その雰囲気で何か色々事が腑に落ちた。
要は全く連絡をよこさない直人を気にかけて海の企画を立てたってとこなんだろう。
ついでに同行するであろう俺に直人の様子を聞こうと思ったら、不参加の知らせを受けて一気に不安になった、と。
「俺達、別に揉めてませんよ？」
「え？ああ、そうなのかい？」
あからさまにほっとした声に苦笑した。
俺が直人を見捨てたりするわけないじゃないか。
雄一郎さんこそ、本来なら…この人が手を離さなければ俺の出る幕なんかありもしなかったはずなのに。
まあ、無理か。
美紗緒さんを諦めるってことだもんな。
ふっと苦い溜息が洩れる。
それを他人に背負わせた自覚はあるのかもしれない。
だからこうして連絡をよこしたのだろう。
「きっと直人の事だから今も君に迷惑をかけているんじゃないかと、心配していたんだ。」
さすが兄弟だ。
当たらずとも遠からず。
年末に危うく絶縁しかけた事は黙っておこう。
「しかも違う友達を連れてくるなんて言うし。」
「今回は俺がバイトをどうしても抜けられなくて。せっかく誘ってくれたのにすみません。」
「いや、いいんだ。それより、久しぶりにこうして話せたんだし…直人の様子、聞いてもいいかい？」
直人と似た、それでいて少し低い穏やかな声は耳に心地いい。
負い目だけじゃなく直人を心配しているのもきっと事実だ。
一瞬ささくれ立ちそうになった心がゆっくりと凪いでいく。
「直人は…最近結構落ち着いていますよ。当社比って感じかもしれませんけど。会ったらわかると思います。」
この人もまた直人の仮面と素顔を知っているのだから。
「そうか…直人が。」
電話の向こうから聞こえる声に安堵が滲む。
「まあ、俺もそれなりに忙しくしててあいつの交友関係までは詳しく知らないですけど。」
「あ、じゃあやっぱり他に誘う友達がいるって聞いてびっくりしたクチかい？」
「そりゃあ、もう！イスから落ちるかと思いましたよ。」
ははは、と快活な笑いで返された。
「ありがとう。また連絡させてもらうよ。」
「はい。美紗緒さんにもよろしくお伝えください。」
短いやり取りを終えて、携帯をベッドに放ると俺はまた机に突っ伏した。
今度はさっきよりいくらかマシな気分だった。
金曜からの２泊３日。
出掛けまでずっと「やっぱりお前と一緒じゃないなんて落ち着かない」とごねていた直人を半ば蹴りだすように送り出し、俺はバイトにいそしんだ。
夜は夜で解放感からバイト先の友人と飲んで騒いだ上に、久々に一人でベットを占領できる喜びにのびのびと手足を伸ばした。
実に快適だった。
傍らのぬくもりがないことが少しばかり寂しかったなんて俺は断固言うつもりはないからな。
そんな風に、時間に追われるまま過ごした３日目の昼過ぎ、ベッドでゆるゆるとまどろんでいた俺は携帯の音で現実に引き戻された。
「あ、これって」
雄一郎さんだ。
ベッドに寝転がったまま携帯に手を伸ばす。
「もしもし？」
「もしもし、三好です。休んでたところだったかな？」
「あ、いえ、大丈夫です。」
何となく寝たまま話すのも悪いような気がして、俺はイスに座りなおした。
「直人に会ったよ。なんだか随分懐かしい気がした。」
いやに感傷的な言い回しに思わず突っ込みをいれたくなる。
「そりゃ、３年ぶり…」
「いや、そういう意味じゃなくて…そうだね。小さい頃の直人を思い出したんだ。まだ僕の後ろを喜んで追いかけていた頃の。」
「そう、ですか…。」
直人の変化、ちゃんとわかるんだな。
「それに、友達とも上手くやれてるみたいだった。」
一瞬言い淀んでから
「……その、本当に…ありがとう。」
最後の絞り出すような一言が僅かに震えていて、もしかして泣いてるんじゃないかと思った。
発せられる言葉の端々がどれも柔らかくて温かい。
何だ直人、お前意外と愛されてたんじゃないか。
３年も放っておいたくせにと思ったけど、声をかけるタイミングを掴めなかっただけなのかもしれない。
そしてそんな風に人は簡単にすれ違ってしまう。
ほんの一言、伝えそびれたそれだけで。
特に直人は難しいから些細なすれ違いが大きな溝になって、この人が差し出した手に気付かなかったんじゃないだろうか。
「いや、俺は別に何も…」
謙遜の言葉を口にしかけてやめる。
してないわけじゃないな。
色々あったしな。
「まあ、頑張りました。」
ため息と共に正直に告白すると、電話の向こうから爽やかな笑い声が聞こえた。
「今、美紗緒の車でそっちに向かってるから。もう着くと思う。出来れば迎えてやってほしい。」
「？」
何を今さら。
意味がわからず答えに窮した俺に雄一郎さんが続ける。
「僕らや周りに気を使って楽しそうにしていてはくれたけど、本当は不本意だったみたいだよ。君と離れるのは。」
語尾に笑いが含まれる。
「え？？？」
「これからも直人の事よろしく頼むよ。」
んん？
君が一緒に来れなくて残念そうだった、ではなく君と離れるのが不本意だときたか。
うーん。この人には何か色々見透かされてるような気が。
まあ、深く考えないでおこう。そうしよう。
「ただいまー！」
電話を切ってものの数秒で部屋のドアが勢いよく開け放たれる。
なんてタイミングだ。
俺はなんだかばつが悪くて慌てて携帯を机に下に放り込んだ。
むわっとした外の暑い空気と共に直人が部屋に飛び込んでくる。
振り返るとそこには誰から見ても海帰りの男。
余計暑い。暑苦しい。
部屋の温度が一気に５度は上がった気がする。
「おかえり。また、随分焼けたな。」
「まぁね。しっかし、海って体力使うよな。疲れたー。」
妙に上機嫌な直人は自分の部屋に戻るのも惜しいのか、荷物を床に放り出し人のベッドに倒れ込む。
ごろごろと２，３度その上を転がってから一息ついてこちらを見上げてきた。
「そういや、兄貴が残念がってたぜ。しんちゃん来ないの。」
思わず苦笑する。
連絡取ってた事は黙っておこう。
「そうか。それは悪い事をしたかな。でも、２人とも元気にしてたんだろ？」
「もちろん！美紗緒さんも相変わらず綺麗だったしさ。それにさ、一緒に行った奴らも……」
直人は嬉しそうだ。
海での出来事をあれやこれやと話し続けている。
よっぽど楽しかったんだろうか。
気がつけば途中から身振り手振りまで加わっている。
「兄貴の見つけた魚がこーんなでかくって…」
俺は聞き役に徹しながら何とも言えない気分になっていた。
何だろう、これ。
既視感があるというか。
ああ、そうか。
小さい頃、ランドセルを置くのももどかしく台所にいる母さんの元へ走って行ったのを思い出した。
ねぇ、聞いて聞いて！今日ね、こんな楽しいことがあったんだよ！って。
それに似てる気がする。
なんか微笑ましいな。
いつも斜に構えてた直人が自分の事をこんなに生き生きと話すのも珍しいし。
「それで、その時美紗緒さんがさ…って…あー、ごめん。」
話すこと十数分、不意に直人が正気に戻ったようだった。
起き上って少し気まずそうにこちらを見る。
「何が？」
「だって、つまんないだろ？こんなの。よく知らない連中の話なんか聞かされたって。」
「そんなことないよ。雄一郎さんや美紗緒さんの事は俺も知ってるし。それに」
「それに？」
「うん。それに直人が楽しそうにしてると俺も楽しいよ。」
これは本心。
「………。」
直人は一瞬虚を突かれたようだった。
ひどく無防備な顔で俺を眺め、それから小さく呟く。
「………じゃあ、もう少しだけ。」
「少しなんて言わなくていいってば。」
海で泳いだこと、雄一郎さんがのろけていて鬱陶しかったこと、浜辺で花火をしたこと。
楽しかった記憶を反芻するように直人は話し、俺は時に高校時代一緒に行った海の思い出と重ねながら、また直人の弾む声を心地よいBGMのように感じながら相槌を打っていた。
こいつが普段自分の事を話さなかった理由って単にそういう環境がなかっただけなのかもな。
「ってなワケで…あ、でもやっぱりしんちゃんと行きたかったなー。」
ざんねーん、と呟いて伸びをした所で直人の海の思い出は幕を閉じたようだった。
「まあ、また次の機会にな。」
「予定空いてたら付き合う？」
「いいけど。」
「よし！じゃあ、来週の土曜！」
直人はどこかにバネでも入ってるのかのような動きでぴょんとベッドから立ち上がった。
「来週の土曜は…えーと？」
バイトあったかな？
「俺が調べたところによると、来週の土曜、しんちゃんのバイト先は棚卸で営業は午前のみ。んで、棚卸にはそれ専用の臨時バイトが募集されてたから…」
大丈夫だよな？と言外に訴えてくる。
これには苦笑するしかなかった。
「お前、相変わらず妙なところで用意がいいのな。」
「そりゃだって、席取る都合とかあるし。」
「席？」
映画？コンサート？直人ってそういうの好きだったっけ。
「夏と言えば花火大会！この辺で一番でかいのが開催されるんだ。浴衣着て行こうぜ！」
「浴衣〜？」
面倒くさいなー。
何で直人ってこういう仮装とかイベントとか燃えるんだろうな。
「花火大会と言えば浴衣！女の子の浴衣のない花火大会なんてイチゴの入ってないショートケーキみたいなもんだぜ！」
しかも熱く語る。
「どんなんだ…。」
こういう所は、変わらないんだな。
「だったら、男の浴衣はいらないだろ？」
「何言ってるんだよ！こっちも浴衣のほうがナンパの成功率が上がるにきまってるじゃないか！」
するんだ？…ナンパ。
「片方が普通の服じゃ成功率下がるからな。しんちゃんも絶対着るんだぜ！」
さっきまでの微笑ましい直人はどこへやら。
俺は結局いつものようにやれやれと大きくため息をつくのだった。
こいつに振り回される夏はまだ終わりそうにない。
| Back |
| ＳＳＴＯＰへ |
|