| ずっといっしょに 4 |
直人が付き合って、振った相手がよりによって｢彼女｣だった。
それがわざとか、偶然なのか？
いや、違う。
追及するべきはそこじゃないよな？
そうじゃなくて･･････何だ？
｢くそ･･･っ！｣
頭の中が真っ白になるというのはこういう事を言うんだろうか。
むしろ、今の状況は真っ黒に近いかもしれない。
絵の具の色を全部混ぜて出来上がったいびつな色。
それくらいぐちゃぐちゃで、
言いたい事も自分が何に対して憤っているのかも上手くまとまらなかった。
ただ、直人に対して何か言わずにはいられなくて、俺は部屋の前でその帰りを待っていた。
部屋の前に立ち尽くす俺の姿はちょっと異様だったらしい。
苛立ちを隠そうともしない俺を見て、さすがに他の連中も声を掛けずに素通りしていった。
ちらちらと心配げにこっちを振り返ったりはしていたけれど。
暖房のほとんど効いていない廊下で待ち続け、冷えていく体と反対に、
感情だけ収まらずに熱を増していくようだった。
直人が帰ってきたら何を言おう？
さっき、泣きじゃくる彼女を何とか宥め、駅まで送ってから俺はずっとそれを考えていた。
直人は俺の一番の親友だ。
腐れ縁で長く続いていて、気の置けない大事な友人だ。
だけど、それ以上に今は許せない！
あんな酷い事を、どうして･･･っ！？
直人が帰ってきたのは、それから大分経っての事だった。
すっかり夜も更けて皆自分の部屋に引っ込んだ頃、
廊下の向こうから足取りも軽く近づいてきた人影。
「あれ、しんちゃん。こんな所で何やってるんだ？」
いつも通りの軽い喋りが腹立たしかった。
「何って･･･？自分の胸に聞いてみろよ。」
顔が引きつるのが分かる。
どう言っていいのか何を言ったらいいのか、
やっぱりまとまらなくて中途半端な嫌味だけが口をついて出る。
だが、直人には全く覚えがないようだった。
「なんかあったっけ？」
あまりにさらっと聞き返されて俺の方が不安になる。
あれ？もしかして間違った？直人じゃなかったのか？
どこかで、違っていたらいいと思っていた。
これが俺のとんでもない勘違いで、
直人に土下座して謝るハメになっても、その方がいいと思った。
「ええと･･･。」
言葉に詰まった俺に直人が笑いかける。
「俺はいつもと同じだぜ。別に変わった事もなかったし。しんちゃんは何かあったのか？」
「いや、その･･･。」
今更何をどう切り出していいかわからない。
「とりあえず、部屋入ろうぜ。ここ寒いし。しんちゃんが風邪引くのなんか見たくないからな。」
「う、うん･･･。」
直人が俺の脇を通り過ぎ、自室の部屋の鍵を開けるのを俺はぼんやりと眺めていた。
いつも通りの直人だ。
そして俺もいつも通りというか、すっかり直人のペースに乗せられている。
何も普段と変わらない。
俺も直人のにこやかな笑顔も。
「･･･ん？」
何か違和感を感じた。
「どした、しんちゃん？」
ドアを開けて、入れよと目で合図する直人はやっぱり笑っている。
にこにこと笑っている。
さっきから全然表情が変わらない。
まるで貼り付けたような笑顔だった。
ようやく違和感の正体に気付く。
俺が知っている直人の笑顔はこんなんじゃない！
もっと胸を締め付けられるような儚くて柔らかく無防備な顔だったはずだ。
今の笑顔は高校時代に良く見た･･････直人が自ら“仮面”と評したそれと同じ。
瞬間、俺は確信した。
やっぱり、彼女を振ったのは直人だと。
息が詰まるように苦しかった。
言うべき言葉が見つからなくて、俺は衝動的に直人の胸倉を掴んで廊下の壁に押し付けた。
「直人っ！お前･･･っ！」
鈍い、そして思いの外大きな音がした。
衝撃がこちらにまで伝わってくる。
頭をぶつけたらしい直人が顔をしかめた。
「･･･ったぁ！しんちゃん、痛いよ。」
抗議の声を上げる直人は、それでも先程と変わらない表情のままで俺を見た。
“仮面”とは良く言ったものだ。
直人が今何を考えてるのか全然わからない。
少し空恐ろしいものを感じずにはいられなかったけど、それよりも怒りが先行していた。
「何が痛い、だよ？彼女に酷い事したのお前だろっ？どうしてあんな事したんだよっ！」
直人の体をがくがく揺すりながら声を荒げて怒鳴る俺は、
もうここが寮の廊下だとか、公共の場所で知り合いが通るとかそんな事は吹き飛んでいた。
「しんちゃんこそ、どうして？」
直人の表情から笑みが消える。
感情のない顔と声。
質問の意味がわからなくて俺が一瞬言葉に詰まると、
今度は口の端だけ上げて直人が皮肉っぽく笑った。
「どうして今更そんな事で怒ってるんだよ？」
“そんな事”という言い方に引っ掛かった。
どうでも良い事のように直人は言う。
あんなに彼女は傷ついて泣いていたのに。
人の心を踏みにじっておいて良くそんな言い方が出来るもんだ。
「いい加減にしろ･･･っ！」
胸倉を掴んだ左手はそのままに、俺は右手を振り上げ直人の顔に力一杯拳を･･･
叩き込もうとした所でその手が止まった。
背後から聞こえるざわめき。
ちらりと視線をうつすと、
周りの部屋の連中が僅かにドアを開けて事の成り行きを見守っているようだった。
「ついに一ノ瀬がキレたな！」とか「むしろ今まで良く付き合ってたよな、あの二人」とか
「あー、俺も三好の事は一度殴りたいと思ってたんだ」とか
･･･果ては「俺の彼女、あいつに取られたんだよ」という愚痴まで聞こえてくる。
まずい。
こんな衆人環視の中で直人をぼこぼこになんかしたら、明日には学科中に広まってるに違いない。
その嫌な想像が少しだけ怒りを冷ましてくれた。
俺は振り上げた手をゆっくりと下ろし、拳を解いた。
代わりに直人の背中を突き飛ばすようにして、
開いたままになっていたドアの向こうへと押し込める。
そして思い切りドアを閉めた。
締め切られた部屋の中はさすがに静かだった。
電気の付いていない部屋は薄暗く、
窓から射し込む街灯の光だけがぼんやり俺と直人を照らし出している。
直人は俺に掴まれてくしゃくしゃになっていたシャツを直していた。
互いに言葉はなかった。
沈黙の中で俺は必死に言葉を探していた。
その間にも目は暗闇に慣れ、互いの表情がわかる程度には見えるようになっていた。
「お前にとって、彼女ってその程度の存在だったのか･･･？」
俺はなるべく静かに冷静に、と自分に言い聞かせながら言った。
直人がうんざりしたように小さくため息をつく。
「もう、やめようぜ。その話。」
その言い方がやっぱり酷く彼女を軽視している気がして、またかっと頭に血が上った。
「よく･･･そんな言い方が出来るよな･･･。」
直人の胸倉を掴む。
今度こそ、殴り飛ばしてやる！
拳を振り上げかけた俺と直人の目が合った。
直人の口の端が僅かに上がる。
「しんちゃんこそ、何で今回に限ってそんなに怒ってるんだよ？」
顔は笑ってる。
だけど、直人の全身からひたひたと静かな憤りが溢れているのがわかった。
「･･････え？」
思わず手を止めた俺に直人はますます笑みを深くした。
嘲笑とでも言うような皮肉っぽい笑いだ。
高校時代に良く見かけた、でも俺にはあまり向けられる事のなかった悪意のこもった笑顔。
「こんなこと、今までだってしょっちゅうあったろ？
その度に、黙認してきたくせに何を今回だけ怒ってるんだよ？」
直人の声はあくまで静かだった。
「あ･･･。」
そうだった。
俺は言葉を失う。
直人の部屋から女の子が泣きながら飛び出してきても、
構内であいつが張り飛ばされてる所を目撃しても、
ましてや女の子を酷く振っている現場に居合わせちゃっても･･･俺は怒ったりなんかしなかった。
いつも『そういうのやめとけ、って言っただろーが！また刺されても知らないぞ。』
とため息混じりに言うばかり。
その度、直人は笑って『ん〜、善処する。それって
･･･しんちゃん、俺の事心配してくれてるんだよな？』
と返す。
『当たり前だ。わかってるんなら心配かけるなよ。』
『ごめん。でもしんちゃんが心配してくれるの、悪くないよなあ。』
『馬鹿なこと言ってんじゃない！』･･･そんなやりとりばかりが繰り返されていた。
「なあ、しんちゃん。何で怒ってるんだ？」
重ねて直人が問う。
俺は返す言葉を持たなかった。
一気に形勢逆転だ。
胸倉掴んでいるのは俺の方なのに、立場はまるで逆だった。
「いや、その･･･」
俺が怒っている理由、それは兎にも角にも彼女の事が好きだったからで･･･
それ以外の女の子が泣かされている時は、そんな事を考えもしなかった。
直人の奴、しょうがないなとため息をついて終わらせていた。
今まで随分と偽善的なことを言ってきたものだと思い知らされる。
もっともらしい事を言って、
俺は直人のことも女の子の事も本当に心配してた訳じゃないのかもしれない。
ただ、変わらず続く直人との関係を俺なりに楽しんでいたんだろう。
直人は目を逸らさなかった。
表情も先程から変わらない。
「あの子の事、好きだったから？好きな子取られて腹が立った？じゃ、俺の気持ちは？」
矢継ぎ早に質問されて、俺はますます返答に詰まる。
「そういうわけじゃ･･･。ただ、知り合い･･･いや、友達だったし。」
「じゃあ、忘れろよ。言ったろ、男と女の関係なんかフィフティフィフティなんだ。
俺だけが悪いわけじゃない。向こうも同意したから付き合った。
合わなかったから別れた。それだけだ。」
それは直人なりの譲歩だったんだと思う。
お前の気持ちが他へ移りかけていた事は不問にするから、今回の事は忘れろ、と。
俺の移り気も直人の彼女への仕打ちも無かった事にして今まで通り。
けれどさらっと言い放った直人の言葉が俺の理性を焼き切った。
フィフティフィフティだと？
どこが？
あんなに嬉しそうに直人の事ばかり話していたあの子の気持ちなんか全く考えず、
ただ利用して捨てたくせに！
その理由がもし、俺が彼女を好きになった事っていうんなら余計に悪い。最悪だ。
俺が悪いなら俺にあたればいい。
なのに関係ない彼女をいたずらに傷つけた。
怒りは頂点に達し、最早理性の静止を振り切って体が動く。
ばしっという鈍い音がした。
「･･･っうっ！？」
俺の拳が直人の右頬に振り下ろされた音だ。
手を離すと直人は２，３歩よろけて後ろのベッドにぶつかって止まった。
「ふざけんなっ！何が、フィフティフィフティだよ？お前はいつだって本気じゃないくせに！
本気でお前の事好きなやつに対して本気じゃないお前のどこがフィフティだって言うんだっ！」
完全に堪忍袋の尾が切れていた。
この2年間、直人と付き合って溜まりに溜まっていたストレスの分も含めて。
本気の直人に本気じゃなかった俺自身を棚に上げて叫んでいた。
「もう･･･お前の事なんか知るかっ！勝手にやってろっ！」
俺はくるりと踵を返す。
とっととこんな部屋出てってやる！
直人は追って来ない、絶対に。
あいつは自分の手を離した人間を追わない。
追えば傷つくからだ。
追って、もう一度振り払われたら立ち直れないから。
だから、直人はその度に『裏切られた』と言って自分の殻に引き篭もる。
俺に向かって『兄に裏切られた』と言った時みたいに、
次傍らに立つ誰かに『高校からずっと付き合ってた奴に裏切られたんだ』とでも言えばいい。
もう知ったこっちゃない！
少しは直人だって、好きな奴に振られる痛みでも味わえばいいんだ！
俺だって･･･もう無理だ。
他人の人生背負えるほど強くもないし、物好きでもない！
俺はドアノブに手をかけ、そのまま開け放った。
そこで手が止まったのは直人が俺の腕を掴んでいたからだ。
･････え？嘘だろ？
背後から搾り出すような小さな声がした。
「しんちゃん･･･行かないでくれよ･･･。」
振り返ると直人がいた。
今にも泣き出しそうな声で、繰り返す。
「お願いだから･･･俺を置いて行かないでくれ･･･」
「直人･･･」
直人･･･だってお前は去る者は追わないんじゃないのか？
追って余計に傷つくのが嫌だったんじゃないのか？
･･･俺が今、この手振りほどいたらどうする気だよ？
言いたいことは一杯あった。
正直、殴り足りないくらいだった。
だけど震える体で泣きそうになりながら、
俺の手にすがりついている直人を前にしては何も言えなかった。
迷子の子供、見捨てていくみたいで。
直人は俺に手を振りほどかれて傷つく事を覚悟の上で、
それでも一縷の望みをかけて俺を引き止めてるんだ。
今まで他の人にはそこまでしなかったくせに･･･俺は直人にとってそんなに特別だった？
俺がいないとやっぱり直人は壊れちゃうんだろうか？
一瞬ぎゅっと目を瞑った。
時間にして数秒、覚悟を決めるまでに要した時間だ。
「ああ、もうっ！」
俺はドアを閉めた。
そのまま直人に向き直る。
再び、二人っきりの薄暗い世界に引き戻された。
「しんちゃん･･･？」
「行かないよ。」
半ばやけくそだった。
放っておけない。
俺は多分彼女の事が好きだった。
普通の健全な大学生としては恋愛もしたいし、
もうちょっとこう･･･色々なお付き合いだってしてみたかった。
彼女の事を傷つけた直人が許せない。
大体、今まで好き放題やってきて今更泣きついてきても遅いんだと言って張り飛ばしてやりたい。
それでも尚、どっちか選べと言われたら、仕方ない。
俺は直人を選ぶんだろう。
思いっきり深く長いため息をついた。
あーあ、選んじゃった･･･。
しかも2度目。
「しんちゃん、ありがとう･･･。」
直人は俺が良く知る無防備な方の表情に戻っていた。
そんな顔を見ると安心する。
「ありがとうはいいけど･･･どっちにしろ、こういう事はもうすんなよ！
高校の頃に言ったろ？いつか刺されて死ぬぞ！」
俺の言葉に少し俯く。
「わかってるんだけど･･･つい、さ。」
「つい、じゃない！今度こそやめろ。」
きっぱり言い切られて直人は少し不満げだった。
表情はいつもの通りだけど声が少しマズイ。
「そうやって、しんちゃんはいつも言うだけで、じゃあどうにかしてくれるのかよ？」
どうせできないくせに、と言っているように聞こえた。
「どうにかって？」
俺にどうにかできる事なら、してやろうと思う。
「夜に･･･一人でいるといてもたっても居られなくなる時があるんだ。
誰でもいいから抱いてるとその時だけは安心する。」
呆れた。
「お前なあ、誰でもいいってそれはあんまりだろ。」
「じゃあ、しんちゃんが抱かれてくれよ？」
「･･････は？」
ダカレテクレヨ。
言葉の理解を脳が拒絶した。
直人は大事だ。
でも、それとこれは別問題。
「どんな女の子と過ごしても、すぐどうでもよくなるんだ。
でも、しんちゃんが俺のものになるんだったら他の女の子なんかいらない。しんちゃんだけでいい。」
「え、いや･･･でも･･･。」
俺、女の子ともしたことないのに･･･初めてが直人かよ？
しかも･････････抱かれる方･･･？
「ほら、そうやって･･･どうせ出来もしないくせに奇麗事ばっかり並べるんじゃないか。」
今度こそ戻っていた。
さっきの冷たい声。
出来ないくせに、か。
少し腹が立った。
2年間、俺なりに気は遣ってきたつもりだ。
それで足りないというなら、とことんまでつきあってやる！
「･･････わかったよ。」
躊躇いながらもそう答えると直人が俺の胸を軽く突き飛ばした。
よろけてそのまま後ろのベッドへ仰向けに倒れこむ。
「うわっ！」
起き上がるより早く上から直人が覆いかぶさってきた。
あまりに早い展開に覚悟を決めた心がまた揺らぐ。
どうしよう、どうしよう？
俺は可愛い女の子が好きなだけの、いたってノーマルな男だったはずなのに。
いや、でも･･･。
･････････それで直人が落ち着くんならいいか。
さっきから直人はやっぱり不安定だ。
色んなものを疑って、無理矢理割り切ろうとして失敗して、必死にもがいている気がする。
俺といて直人が安心出来るなら、こういう事も仕方ないのかもしれない。
「しんちゃん･･･好きだよ･･･。」
ぞくぞくするような甘い囁き声が降ってきた。
直人が俺の首筋に顔を埋める。
柔らかな髪が頬にあたってくすぐったかった。
「･･･んっ･･･。」
直人の唇が俺の首筋を伝う。
時に吸ったり、舐めたり。
その生暖かくて柔らかい感触に背筋がぞわぞわした。
気持ち悪いとか嫌だと言うんじゃなくて・・・
･･･もっと腰のほうから伝わってくるような鈍くて甘い感覚だった。
直人は空いた手で俺の上着のボタンを外しにかかっていた。
もういいや。任せておこう。
マグロのようなのが情けないが、今回は他の事を考えてる余裕はなさそうだ。
俺は9割の諦めと1割の期待に身を任せて、体の力を抜いた。
と、その時、直人が俺の耳元で囁いた。
「お前だけだよ･･･。お前さえいれば他には誰も要らない･･･。」
その声音が甘いものだったら、俺は本当にそのまま流されていたのかもしれない。
けれど、直人の声は愛を語るには到底不向きなものだった。
ただただ他人を拒絶する頑なな直人の心が囁きの裏に透けて見えた。
そのままでいいわけない。
俺といて、俺だけ見て、そこで終わる。
他人は全部敵だと言わんばかりの直人はやっぱり駄目だ。
胸がきりきりと痛む。
締め付けられるような痛みに押されて俺は直人を止めた。
圧し掛かってきていた直人の胸に手をあてて押し返す。
「駄目だ、直人･･･。」
吐き出すようにそう一言告げるのが辛かった。
「え･･･？」
突然の拒絶に直人が動きを止める。
「駄目だよ、直人。やっぱり、やめよう。」
その一言でみるみる直人の顔色が変わっていくのがわかった。
「何言ってるんだよ、今更。」
「とにかく、ちょっと待てって。」
「結局お前も他の連中と同じだってのか？やっぱり俺のことなんて･･･っ！」
苦しげなその声に思わず押されてしまう。
「そうじゃない、だけど･･･。」
「だけど、なんだよ？
結局皆、俺から離れていくんだ。俺を捨てて。俺なんか誰にも必要とされて無いんだ･･･っ。
信じてたのに･･･。お前だけは信じてたのにっ！お前まで裏切るんだな！」
直人が俺の胸倉を掴んで激しく揺する。
さっき1度俺を失うかと怯えて、でも大丈夫だったと安堵した分、反動が大きいのかもしれない。
不安定な直人。
2年前と何ら変わってない。
あの頃と同じに頑なで、あの頃と同じに不安を抱えて苦しいままなんだろう。
取り乱し、感情のままに言葉を発する姿を見て俺は改めてそう思った。
だからこそ、ここで折れちゃいけない。
重ねる言葉も重ねる体も、どこまで直人を満たせるのかわからない。
むしろ空しくさせるだけじゃないか。
冷静になってちゃんと話さないと駄目だ。
「直人、良く聞けよ。俺はお前から離れて行ったりしない。
ずっと側にいるよ。でも、それとこれとは別だ。」
「どこが･･･っ？」
「お前、今までだってこういうことは女の子と散々してきただろう？
それで満たされなかったのに、相手が俺だからって何か違うもんか？」
「違うよ。俺が本当に好きになったのは、しんちゃん･･･お前だけだっ。」
頑として譲ろうとしない直人は駄々っ子みたいだった。
「うん、それはわかる。だけどさ･･･」
俺は思わずそこで言葉を区切って一度深く息を吸った。
ああ、これ言っていいもんかな。
直人を余計傷つけるだけかもしれない。
でも、言わないままじゃすすまない。
覚悟を決めて口を開く。
「だけど、その“好き”は本当に恋愛感情か？」
「何言ってるんだよ！そんなの･･･」
反論しかけた直人の言葉を遮って俺は続けた。
「お前は誰かに受け入れて欲しくて、安心していられる場所が欲しかっただけじゃないのか？
だけど、お前と付き合った女の子達は、
お前に色々求めるだけでお前の求める物は得られなかった。
そりゃ、当然だよな。恋人の親代わりしてやろうなんて思う女の子はいないよ。
俺はお前の友達で、しかも結構お互い干渉しないようにしてたからな。
距離が遠い分、俺はお前に何か求めたりしなかったし、
気楽だから付き合いが続いてた。それだけだ。
本当は他の奴でも良かったのかもしれない。
たまたま、いつも側にいて何も言わずに受け入れてくれる相手がいたから･･･
それが俺だったってだけじゃないのか？」
「････････････。」
俯いて押し黙った直人は苦しそうだった。
言わなきゃ良かっただろうか。
そう的外れな事は言っていないはずだ。
けれど、それだけにきついかもしれない。
まるで正面からばっさり切りつけたようなものだ。
直人の気持ちを否定して、トラウマを目の前に突きつけて。
重い沈黙が流れる。
俺は言った事を後悔し始めていた。
その時、直人が力なくぽつりと呟いた。
「それだけわかって、それでも側にいたなんて･･･俺に同情でもしてた･･･？
それとも、本当に世話好きのお人好しなだけ･･･？」
「さあ、どうだろうな。少なくとも同情じゃないと思うけど。
きっかけはともかくさ、今俺はお前の事を大事に思ってるよ。特別な相手だとも思う。
だから･･･まあ、そういうことしたって、いいけど。
･･･でも、今はやめよう。な？」
「･･･わかったよ･･･お前の･･･言う通りかもしれない･･･。
俺は結局、まだ母親の事引きずってるんだな。
吹っ切ったつもりだったのに･･･。」
「まあ、そうすぐに切り替えられるもんでもないよ。」
「結構、切り替えるのも得意なつもりだったんだけど。」
力なく自嘲的な笑みを浮かべる姿が痛々しい。
確かに、直人は前から素早く切り替えて、物事引きずらずに、
割り切って生きていこうとしていたような節があったよな。
「だけど･･･しんちゃん。俺はやっぱりお前が好きだよ･･･。それだけは、本当に･･･」
「･･･うん。」
俺は起き上がって、直人の肩をそっと抱いた。
「心配しなくても、俺はずっとお前の側にいるよ。約束、しただろ･･･？」
出来るだけ優しく、まるで子供をあやすみたいに背中を叩きながら囁く。
その言葉に直人は怪訝そうに顔を上げた。
少し立ち直ったことは立ち直ったみたいだ。
「･･･いつ？
俺は一度聞いたことは忘れないタチだけど、そんなの聞いた覚えないぜ？
しかもそんな大事な事絶対忘れないけど。」
まあ、そりゃ確かに、直人が覚えてるはずはないよなあ･･･。
「あ〜･･･、直人寝てたしな。」
「だから、いつ･･･？」
「･･･高３のスキー旅行行った晩にさ。」
「！？」
「お前が俺の手握ったまま、ずっと一緒にとかなんとか言ってたから。
ああ、もうこりゃ、ずっと一緒にいるしかないなと思って、ちゃんと返事したんだけど。」
「･･･って、じゃあ、何で起きてる時に言ってくれないんだよ！」
「え･･･、素面じゃなかなか言えなくないか？」
「言わないと伝わらない事って多いんだぞ！」
「だ、だから今言ってるじゃないか･･･。」
「･･･遅いよ･･･。」
直人は疲れたように一度大きくため息をつくとそのまま体の力を抜いて俺にもたれかかってきた。
「なあ、それって本当に･･･ずっと？」
小さな声で直人が問いかけてくる。
「うん、ずっと。お前が俺のことなんかいらない、って言うまでな。」
「そんな日、来ないかもしれないぜ？」
「だから、いいって。そのつもりじゃなきゃ、最初からそんなこと言わないよ。」
「そっか･･･。」
「それでさ、お前が不安になるって言うんなら、またあの時みたいに手繋いで寝る？」
「･･･毎晩？」
「まあ、毎晩でもいいけど･･･」
「じゃあ、そうする。」
「･･･うん」
その晩、俺と直人は一緒のベッドで手を繋いで寝た。
直人はなんだか少し照れくさそうで、でも嬉しそうだった。
そしてベッドに入った後、直人が思い出したように言い出した。
「そういや、しんちゃん。」
「うん･･･？」
「さっき･･･今は駄目だ、って言ったよな？」
「？」
何の話だろう･･･?
一瞬分からなかったが、すぐに思い当たる。
あ、直人とどうこうなる話の事か。
「言ったけど。まあ、お前次第だよな。」
「そっか。･･･よし！」
「･･･何？」
俺は妙に楽しそうな直人に不吉なものを感じて聞き返す。
「俺はこのくらいの事じゃ負けないからな！いつか絶対お前をその気にさせてやる！」
「はいはい・・・」
直人って意外と立ち直り早かったんだな･･･。
まあ、そんな時が来たら甘んじて受け入れよう。
ただ、今回みたいに俺が一方的に押し倒されそうなのだけは回避しないとな。
「じゃ、もう寝ようか。」
「そうだな。」
俺は枕元のスタンドに手を伸ばしながらふと思いついた。
「直人。そういや、俺って結構嫉妬深いんだ。」
「うん？」
「だから、お前があんまり色んな子としょっちゅう付き合ってると、
いつまで経ってもその気にならないかもな。」
直人が苦笑する。
「努力するよ。」
「そうしてくれ。」
言いながら俺はスタンドのスイッチを切った。
部屋が暗くなり、お互いの体温だけを感じ、息遣いだけが聞こえてくる。
それがひどく心地よかった。
| Back |
| ＳＳＴＯＰへ |
|