| 月夜の浜辺で |
寄せては返す波の音。
月明かりだけが砂浜を照らす。
誰もいない浜辺は静かで、波の音と砂を踏みしめる俺の足音だけが聞こえていた。
朝まで部屋には戻れない。あいつの隣に一晩いて平静でいられる自信がない。
そもそも、この胸に燻る想いの正体さえ、自分でもよくわからないのだからどうしようもない。
まあ真夜中の散歩も悪くはないさ。
俺は一人、砂浜を歩きながら空を見上げる。
月が綺麗だった。
夏。
恒例のダブルデート旅行の季節がやってきた。
例年通り一ノ瀬と女の子達を誘う事が決定していた。
俺はというと、自宅で受話器を握り締めたまま迷う事既に１0分。
どうにもあの結婚式以来、一ノ瀬と話すと調子が狂う。
今は旅行を誘う電話の第一声をどうしようかと迷ってたりする。
いつも通りでいいはずだけど、あいつが俺を“直人”と呼ぶように、
俺もあいつを“慎也”と呼んでみたいなんてどうもいいことが頭を掠める。
でも急に呼び方変えたらあいつは困惑するだろうか。
それでもいいから呼んでみたいとか。
ホントに何やってるんだ、俺は。
ええい、もう、とりあえずやるだけやってみるか！
俺は勢いをつけてボタンを押した。
2度3度のコールの後、聞きなれた声が受話器から聞こえてくる。
「はい、一ノ瀬ですけど。」
俺は小さく深呼吸。
「あ、慎也？俺だけど。」
「ああ、直人か。」
・・・・・・。
全然っ、気付いてないし！
悩むだけ馬鹿馬鹿しい。
もういい、ホントにもう・・・このまま慎也って呼んでやるっ！
「でさ、慎也、今度また旅行に・・・」
夏の旅行の定番といえばやっぱり海。
そんなわけで今回の旅行は海に決定し、俺たちはこうして1年ぶりに海水浴へと来たわけだ。
照りつける太陽、青い空、青い海、遠く広がる砂浜。これぞ夏！
山もいいけど、やっぱ海だよな。
慎也も海がいいって言ってたし。
それに何より水着の女の子達！
それだけで目の保養になるってもんで
・・・・・・それなのに、何故か俺はさっきから見たくもない男の水着・・・
と、いうか慎也の事を目で追ってたりする。何でだ？
当の慎也は女の子と楽しそうに浜辺でじゃれあっていた。
楽しそうだな。
そういえば、去年の旅行の時もあの娘を誘いたいって慎也は言ったっけ。
うん？その前もそうだったから・・・1年の時からか。
案外、あいつって一途なのな。ナンパしようっていうとホイホイのってくるくせに。
多分あの娘の事が好きなんだろう。
でもって、あの娘も慎也の事が・・・。
告白してないだけ、恋人として付き合うという形をとってないだけで
両想いなのは傍から見ててバレバレだ。
その時ずきん、とひどく胸が痛んだ。
何だろう？良くわからないな。
何でこんなに息苦しいような重苦しい気分になるんだろう？
空はこんなに晴れていて、海も眩しいほどに太陽の光を反射させてキラキラ輝いているのに。
「くそ・・・っ」
俺は正体不明の胸の痛みに苛立って小さく呟いた。
とりあえず、ナンパだ！ナンパ！
可愛い水着の女の子と楽しく過ごせばすぐにこんなの忘れるさ。
あー、でもナンパって一人より二人の方が成功率上がるんだよな・・・。
視界の隅にちらりと映った慎也は砂に埋められていた。鼻の下を伸ばしながら。
・・・今回、あいつを誘うのは無理、か。
やっぱりどうにも面白くない気分を抱えながら俺は仕方なしに誘う相手を探し始めた。
・・・。
・・・・・・・・。
･･･････・・・・・・・・・・・・・・・。
海で遊ぶと疲れる。
そもそも、水に入ると体力を消耗するんだよな。
体がだるい。それでいて、日に焼けた体は火照っていて熱い。
「・・・ふう。」
俺は思わず天井見上げてため息をついた。
寝付けない理由が本当にそれだけとは・・・思えなかった。
いつでも、どこでも、すぐ寝れる。
いっそ、それは特技だといつも慎也に言われているのに、今夜は妙に眠れない。
ちなみにあの後、俺はちゃんと可愛い女の子をひっかけて楽しく遊んで帰った。
それはそれで結構楽しめたし、良かったかとも思うけど・・・ずっと何かがひっかかったようで
布団に入った今ももやもやした気持ちが晴れないままでいた。
だから今夜は遊び疲れたらしい慎也の方が早くに寝入ってしまっている。
なんだか恨めしい気分になって俺は慎也の顔を覗き込んだ。
薄いタオルケット一枚かけてよく寝てる。
電気を消した部屋の中で窓から僅かに差し込む月明かりに照らされて、
慎也の日に焼けた鼻が赤かった。
暢気な寝顔を見ていると鼻でもつまんでやろうか、なんて気になってくる。
うーん、それはいい考えかもしれない。
鼻つまんで、慎也が目を覚ましたら俺は知らん顔で寝た振りしてるとか。
夜って一回目が覚めちゃうとなかなか寝なおせないんだよな。ちょっと悪戯してやろうか。
妙に楽しくなって俺は慎也の顔に手を伸ばす。
本当に・・・よく寝てるな。起きる気配が全くない。
そういえば、俺って慎也の寝てる顔・・・こんなにまじまじ見るのって初めてかもしれない。
寝つきも寝起きも良い俺は、旅行のたびにコイツを起こしているけど、
朝っぱらから顔なんてしみじみ見ないし。
こうして見ると、案外鼻高いんだな。
それに今まで気付かなかったけど結構整った顔をしてる。
でもって睫毛は短いな。きっと俺の方が長い。
あとは・・・唇。
鼻に伸ばしかけた手を少しだけ下ろして、触れてみる。
寝いているせいか、慎也の唇は少し乾いていた。
そうして触ってみるとあんまり変わんないような気がした。男も女も。
本当に、変わらないかな・・・？
確かめてみようか・・・。
一瞬頭がぼうっとした。
自分の心臓の音が耳元で聞こえる気がする。
ああ、うるさい。
しかも妙に早くそれはリズムを刻んでいた。
俺は頭の奥が痺れたようで、何も考えずそっと顔を傾けて、
眠る慎也の唇に自分のそれを重ね合わせた。
ああ、やっぱり女の子とするのと大して変わらないや。
ちょっとかさかさしてる。女の子みたいにいい匂いもしないけど、もっとずっとどきどきする。
こんな触れるだけのキスなのに・・・。
って、キス！？
「！？」
俺はがばっと身を起こした。
今、何したんだ、俺？
いや、何をしたかは物凄くよくわかってる。
キス・・・したんだよな。
・・・慎也に。
男相手に何やってるんだ！？
しかも、気持ち悪いとかそういう風には全然思わなかった。
かあっと頬に血が上る。
誰か見てるはずもないのに思わず辺りを見回してしまった。
そこにはただ誰もいない部屋と静寂が広がっているだけだった。
けれど、動揺と羞恥と困惑と・・・とにかく色々な感情が綯い交ぜになって
俺は自分でも収集がつかなくなっていた。
とにかく、わかるのは今ここにいるのは良くないってことだ。
どうしてあんな事をしたのかわからないけれど、『したい』と思ったのは事実だ。
その衝動に突き動かされて一瞬理性が焼き切れた、らしい。
このまま一晩側にいたら、今度は何をしでかすか自分でも自信がなかった。
別に欲求不満ってわけじゃない。
もし、隣に寝ていたのがトップモデルやアイドルだったとしても自分を保てる自信がある。
だけど、今この場でその自信は全く無い。
ありがたい事に慎也は全く気付く事もなく、穏やかな寝息を立てている。
俺は物音を立てないようにそっと部屋を抜け出した。
そのまま人気のない廊下とロビーを通って外へと向かう。。
外に出ると、波の音が聞こえてきた。
確か、海のすぐ側のホテルだったはずだから、少し歩けば浜に出る。
潮の香りを乗せた夜風は涼しくて心地よかった。
火照った頬と、血の上った頭がゆっくりと冷えていく。
事情が事情だし部屋に戻るわけにはいかないから、このまま夜の散歩と洒落込むのも悪くない。
俺は特に目的もないままにぶらりと海岸へ向かって歩き出した。
一歩歩くごとにしゃりしゃりと砂が音を立てる。
その独特の感触が気持ちいい。
砂も風も、昼にはあんなに熱かったのに、今はただ静かだ。
誰もいない砂浜を俺は一人で歩いていた。
月の光が波間に落ちて輝いている。
普段、街中にいると月がこんなに明るいなんて気付かない。
その柔らかな光は街灯なんかよりずっと優しくて、思わずなんだか人恋しくなるような
甘い空気を砂浜一杯に満たしていた。
浜辺は静かだった。
こんなにムードたっぷりなのに、いちゃつくカップルも見当たらないあたり、案外家族向けの
リゾート地なのかもしれない。
俺なら絶対、好きな子の肩でも抱いて月を一緒に見上げるのに・・・なんて。
ガラにもない想像に俺は噴出しそうになった。
可愛い女の子、じゃなくて好きな子なんて、ガラじゃない。
しかも一瞬、肩を抱こうと思った相手の顔が慎也だったなんてますますタチが悪い。
本当に、どうしちゃったんだろう？
答えはわかっている気がしたけれど、あまり考えたくなかった。
ここまで露骨だとさすがに諦めるしかないのかもしれないけれどな。
俺はきっと・・・慎也の事が好きなんだと思う。
何でだろう・・・？
自問自答を繰り返す。
俺が好きなのは、いつだって可愛い女の子のはずなのに。
あいつはちっとも可愛くなんてないのに、触れてみたいとか思ってしまう自分がいる。
「あーあ、どうしようもないよなー。」
しかも、当の慎也には傍から見てて分かる程度に両想いの相手がいるわけで。
自覚した瞬間に失恋か・・・。
ま、俺の場合、気の迷いって感じもするから案外明日の朝には吹っ切れてるかもしれない。
というか、吹っ切らないとな。
俺は波打ち際で歩みを止めて目を閉じた。
そうすると本当に、寄せて返す規則正しい波の音だけしか聞こえなくなる。
夜風はただ優しく俺の頬を撫でていく。
静かだ。
世界に自分一人しかいないような錯覚を覚える程に。
でも、不思議と孤独は感じなかった。ひどく、切なくはあったけれど。
一晩ここにいて、朝になったら何食わぬ顔でホテルに戻ってあいつを起こせばいい。
いつもみたいに。
そうしたら俺もきっといつもの俺に戻れるだろう。
俺は波の音に身を任せながら、ホテルで眠る慎也に想いを馳せる。
好きだったよ、慎也。
本当は今、隣にお前がいたら良かったのに。
二人で一緒に波の音を聞いていられたら良かったのに。
慎也を想う度、身を蕩けさせるような甘さと、息苦しいほどの胸の痛みが交互に襲ってきた。
好きだと思うだけで幸せで、叶わない事を思い出すたび切ない。
自分が相手を好きで、相手も自分を好き・・・それはどんなにか幸せな事だろう。
俺は散々恋愛をしてきたけど、満たされて幸せだなんて思った事がない。
じゃあ、今までのは何だったっていうんだ？
そんな自身への問いかけは背後からの一言で中断させられた。
「直人！」
聞きなれた声。と、いうより今一番聞きたかった声がした。
「お、慎也か。驚かすなよ」
俺は必死に平静を装って応えたが、信じられなかった。
振り返ったところにいたのは紛う事無く、正真正銘本物の一ノ瀬慎也だった。
確かに会いたいと思った。だけどなんで、こんなタイミングで・・・。
「目が覚めたらお前がいないから探しに来てやったんだよ。」
欠伸をかみ殺しながら慎也が言う。
眠いせいか少し不機嫌そうだ。
けれど、そんなこと俺にはどうでも良かった。
肝心なのは慎也が俺を探しに来たという事だ。
聞き間違いじゃないだろうか？そうだったらいいと思うあまりの幻聴かもしれない。
思わず俺は聞き返す。
「わざわざ俺のために？」
「うん、まあ・・・。」
重ねて問いかけられて少しばつが悪そうに慎也が答える。
その一言は充分すぎるほど甘く俺を満たしていった。
本当に俺のために慎也はここまで来てくれたんだ。
「そっか。ごめんな。心配させて。」
嬉しくてつい頬が緩んだ。胸の中がじわりと暖かくなる。
それから、浜辺で二人並んでどうでもいい話をした。
付き合い長いよな、とかそんな他愛もない話。
こんな事すら俺たちは話してこなかった。ずっと近くにいたのに相手が何を考えているのかすら
知らずに付き合ってきたんだ。
もっと色んな話をすれば良かったのに。
俺は、お前の本命は誰なんだ？両想いなんて幸せな事だぜ、
な-んて話を振って慎也をからかってやった。
昼間の楽しそうな二人を思い出して少し嫉妬したのかもしれない。
そのせいで慎也は照れ隠しに「そういうお前はどうなんだ？」と反撃してきた。
そう言われても、多分、俺の本命は目の前にいるお前だなんて言える筈もない。
「当ててみな？」
答えを教える気は毛頭なかったけれど、俺は悪戯っぽくそう言ってみた。
慎也から見たら“三好直人の本命”って誰だと思うんだろう？
ちょっと興味あるしな。
一応真剣に考えているのか、慎也が黙り込む。
軽く眉根を寄せたその表情もなんだか新鮮だった。
冷めてる冷めてると思ってきたけど、慎也って結構表情がくるくる変わって可愛いな。
そんな事を普通に考えてしまう。
本当にどうしようもない自分を自覚して俺はこっそり苦笑いした。
しばらくそうして慎也は悩んでいたが、不意に半ばやけっぽく呟いた。
「俺様だな！」
え？バレてる！？
さっきから早鐘を打つ心臓が、今度は口から飛び出しそうなほど驚いた。
いや、そんなはずない。ありっこない。
大体、慎也の口調がヤケクソっぽかったし。
だけど本当にばれてたら困るよな・・・。俺は急に弱気になる。
「・・・・。
それ・・・ギャグで言ってるんだよな・・・？」
おそるおそる切り出すと、慎也が苦笑した。
「一世一代のギャグかもしれない・・・。」
見当が付かないから冗談に逃げたんだろう。
そもそも、俺の交友関係なんか慎也が知ってるはずないんだから当然といえば当然だ。
だけど、びっくりした。バレたのかと思った。
そして安心すると同時に、俺の心中など全く気付かないのほほんとした慎也に腹が立った。
慎也って色んな意味で鈍すぎる。
もっとも、俺としてはこの想いを慎也に知られるわけにはいかないんだから、
気付いてくれないなんて怒るのは逆恨み以外の何物でもないのは充分わかってるけど。
わかっていてもやっぱり腹立たしい、
思いに任せて、俺は慎也の背を力いっぱい海に向かって突き飛ばした。
ざっぱーん！
勢い良く、慎也が海に倒れこむ。上から下まで見事にずぶ濡れだ。
俺もそれに続いて飛び込んだ。
夜の海は涼しくて心地よかった
多少海水を飲んでしまったのか、顔をしかめながら起き上がってきた慎也にとりあえず一発。
思い切り水を浴びせかけた。
「あ、やったな！このやろ！」
慎也もムキになって水をかけ返してくる。
海水が目に沁みるし、口に入ると本当にしょっぱい。
「よーし！これでもくらえ！」
俺もまた派手に水をはねさせて慎也に返す。
それが繰り返された。何度も何度も・・・。
月の綺麗な夜だった。
優しい風が吹いていた。
永遠に伝えるつもりのない恋。
それでもいいと思う。
でも、今だけ・・・。
月夜の浜辺で肩を抱いたりは出来ないから。
せめて思い出くらい作ったっていいだろう？今日の事をずっと忘れないように。
月の光の降り注ぐ浜辺で俺たちはいつまでもガキみたいにはしゃいで水をかけあっていた。
東の空が明るくなるまでずっと、ずっと・・・。
ＢＡＣＫ
|